2012年5月17日 (木)

西日本新聞・文学展望

 6時に起きて外を掃こうと出て行ったらポストに何やら大きな茶封筒が…。そういえば昨日はポストまでも行かなかった…。
 封筒は西日本新聞社からだった。先日、記者から電話があり私の顔写真を送って欲しいとのことだったので、以前ベストライフに書いていたときに使っていた写真を、大分前の写真なので誇大広告かな、と思いつつ送る。
 それきり何もいって来ないので私自身も忘れていたのだが、開けてみると5月4日の新聞だった。紙面の4分の1を占める大きな記事で『火山地帯』最新号に掲載された『天の采』を取り上げている。
 筆者は長崎純心大学教授・長野秀樹氏。最初に近松門左衛門の芸術論として有名な「虚実皮膜」(真実は虚と実のあいだにたゆたっている) という言葉を挙げ、私の作品を「…作者は巧みに虚構を織り交ぜながら、日常の中に突如発生した悲劇をリアルに描き出していく…」と評している。

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2012年5月12日 (土)

『雨の中に消えて』・石坂洋次郎

 以前、まとめて捨てるつもりで縛っておいた10冊ほどの文庫本のなかに石坂洋次郎の『雨の中に消えて』を見つけ、ふと読んでみる気になった。裏表紙を開くと1966・11・8と書かれている…私が16歳の時に駅前の書店で買ったものだ。
 石坂洋次郎の作品は、今ではほとんど読まれることはないのだろうが、私たちが10代の頃は誰でもが知っている作家だった。小説は映画にもなりモノクロテレビのドラマにもなった
 読み始めたら、懐かしいやら面白いやらで一気に読み終えた。石坂洋次郎はいわゆる大衆作家だが、内容はなかなか教訓的で考えようによってはとても深い。だいたい初期の作品『海を見に行く』などを読めば、ただの大衆作家ではないことが良く分かるだろう
 当時の日本は貧しかったが未来のある国であり、若者たちの男女間の意識も変わりつつあった。その最先端にあったのが石坂洋次郎の青春小説だった。女性の生き方、結婚や恋愛のあり方など、当時画期的なものの捉え方だったのだ。今になって、私はこのような本に書かれた思想の影響を、気付かないうちに強く受けていたと思う。
 物語は20歳前後の3人の女性が主人公。3人は東北地方の高校の同級生で東京の借家に一緒に住んでいる。大学生、裁縫学校生、それに編集者という取り合わせ。それぞれに心惹かれる男性がいるのだが、女性としてのプライドを失うことなく、積極的に賢く交際する。…それにしても『雨の中に消えて』という題名はどういう意味があるのだろう…。
 

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2012年5月10日 (木)

下北半島の日本猿

先日のNHK『ダーウィンが行く』で下北半島のニホンザルを取り上げていた。ハルという名の老猿を中心に物語仕立てのようになっている。視聴者は全くの野性猿を撮影したと思うのだろうが、実際は人間がしっかり保護しているはず。
高校を卒業した年、友人のA子に連れられて下北半島の猿を見に行った。彼女は生物学専攻で、当時北限の猿に非常に興味を持っていた。出かけたのは3月。40年以上前の下北半島は交通の便が悪いうえに時節柄雪に閉ざされ、若い娘が猿の保護地区まで行くことなどどう考えてもできそうもなかった。けれどもどうしても見たいというA子の情熱がユースホステルのおじさんの心を動かした。
地元の人しか絶対に運転できないだろう山道を2時間近く走ると、深い雪のなかに小さな番小屋が心細そうに建っていた。そこにはたったひとりお爺さんがいて何をするでもなく静かにストーブにあたっていた。私たちが番小屋に着くと、驚いたようにどこから来たのかと聞いた。それはそうだろう、こんな若い娘たちがいったい何のために何時間も雪道を走ってやってきたのか…。A子は猿が好きだから、などといい、番小屋のお爺さんを仰天させた。何でもいいからはやくストーブにあたりなさい、とお爺さんは親切にいってくれた。もうすぐ降りてくるから一緒にりんごをやるといいよ、ともいってくれた。
時間が来ると、お爺さんは小屋の隅に山のように積まれたリンゴを布袋に入れて、完全に防寒して外に出て行った。雪の中に立って猿が山の上から下りて来るのを待つのだ。私たちも外に出て一緒に待った。それにしてもあまりにも寒く、私は殆ど凍えていた。猿はなかなか降りてこない。それでもA子は外で待つという。私はついに耐えきれなくなって番小屋に駆けこむとストーブにへばりついた。どれくらいの時間が経っただろうか…ついに私の名を呼ぶA子の声が…。
番小屋から出て眺めると、雪の斜面を何やらパラパラと黒い石ころのようなものが転がり落ちてくる。猿の群れだった。A子は本当に嬉しそうだった。私も凍えながらもわくわくして眺めた。私たちはお爺さんに手渡されたリンゴを、取っては投げ取っては投げした。A子のおかげで私も本当に素敵な光景を見ることができた。あれから40年以上経っているけれど、今でも下北半島の猿にはなかなか会うことはできないのかもしれない。

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2012年5月 4日 (金)

シドニー・4.コアラ

 今回はタロンガ動物園、フェザデール動物園、ワイルドライフ、と動物園巡りの旅行だった。子どもたちは大喜び、私も動物園が好きなので楽しんだ。子どもにとって、コアラはどうしても見なければならない動物のひとつだ(兄の方はなぜかコアラよりワニが気に入ったようだったが)。
 シドニーに住んでいた頃はどんな動物園でもコアラを抱くことができた。現在はニュー・サウス・ウェールズ州ではコアラを抱くことが禁じられている。そっとなら触っても良いよ、と飼育係のお兄さんにいわれて、子どもも大人もおそるおそる手を伸ばす。固くてごわごわして、体温で温められているせいか湿った感じ…そうだったなぁ。
 私はたった一度だけ野性のコアラを見たことがある。ケアンズの南にあるアボリジニの遺跡にいったときのことだ。遺跡は周囲に溝のある円形の祭祀場のあとで、数千年前からつい最近(20年ほど前)まで使われ、村人の心の拠り所だった。アボリジニの男性がふたりで案内して説明してくれた。シドニーから電話をしてガイドを頼んでおいたのだ。説明をしているとき、ひとりがふと木を見上げて、コアラがいる、といった。高いユウカリの木の上に野性のコアラが眠っていた。ふたりは、コアラを落とそうとするのか眠っているのを起こそうとするのか、もしかしたら私たちに見せようとしてくれたのかもしれないが…木を揺すったり下から木切れを投げたりした。私はいいからそっと眠らせておいてほしいと思ったものだ。
 もともとオーストラリアのどこにでもいた野性のコアラは、今は全くいないらしい。アボリジニの遺跡も興味深かったが、野性のコアラを見たことも貴重な体験だった。

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2012年4月28日 (土)

シドニー・3・マンリー

 サーキュラー・キーからフェリーに乗ってマンリーへいった。
 船着き場から海岸までの道沿いに店が並んでいる。子どもたちは砂場セットを買ってもらったが、兄は水色のセット、妹は1才ながらピンクのバケツを主張。
 マンリー海岸は明るい秋の陽射しに満ちていた。子供たちは大喜びで砂遊びに興じる。私は日陰のベンチに腰掛けて海を見ていた。周囲には年配の夫婦が座って、口数も少なくぼんやり海を眺めている。
 1998年の夏、2月、スキューバ・ダイビングのライセンスを取った。4日間ほどの講習で取得できるが、最後の実習がこのマンリーのシェリー・ビーチだった。
 初めて海に潜った私は、目の前に広がる別世界に心を奪われた。私の周りを黒い大きな鯛や黄色い縞模様の魚が薄い体をくねらせて泳いでいた。少し沖に出ると海藻の群があり、そのあいだにふわりと浮いたようにオーストラリアにしか生息しないウィーディ・シードラゴンがいた。海の流れに身を任せるようにゆららゆららと…。黄色みがかった大きなタツノオトシゴ、これはオスが子どもを産む不思議な生物だ。
 けれども重い酸素ボンベを担いで海から浜辺へ上がっていく時は大変だった。
 私のバディさん(相棒)は「まるで十字架を担いだキリストみたいね。あえぎあえぎやっと歩いている」と笑った。

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2012年4月21日 (土)

シドニー・2・キングステーブルランド


写真はブルーマウンテン

 ユウカリの森に覆われたブルーマウンテンはシドニー郊外の景勝地。
 シドニーから日帰りの日本語ツアーに参加した。孫は日本語しか分からないし、現地の観光会社より日本人相手のほうが行き届いているだろうと思い、また、何といってもキングステーブルに行くと銘打っているのはこれだけだったからだ。
 キングステーブルはブルーマウンテンの奥深くにある。巨大な砂岩の上にアボリジニの描いた不思議な亀甲模様が連なり神秘的ともいえる眺望が広がっている。神がいて地上に降りてくるとしたらこんなところではないかと思うほど魅惑的な場所だ。
 シティーから国道4号線に乗り、ブルーマウンテンを目指す。
 黄色い野性のマーガレットが道の辺にたくさん揺れているのを見ながら…自家発電機を持っていたカリントン・ホテル(当時は廃屋のようになっていた)やヨーロッパの鉱泉ブームで波に乗ったハイドロ・マジェスティック・ホテル、グローウォーム(土ボタル)がいた鉱山鉄道の廃線トンネル、それに蒸気機関車も走っていた、など、大好きだったブルーマウンテンのそれぞれの場所が思い出された。
 ツアーはまずスリー・シスターズへ。そこからロープウエイに乗って上まで行き、トロッコ電車に乗って急勾配を下り、レインフォレストを歩き、またロープウエイに乗って戻る。しかしながら、日本語ツアーといっても何ひとつ説明がない。歴史も伝説もひとつも披露されない。これなら英語の現地ツアーで充分だったなどと思いながら、でも、キングステーブルが…と気を取り直し、期待して小型バスに揺られていく。
 ところが、ここだといって降ろされたところは、フラットロック(flat rock)という場所。
 私の知っているキングステーブルはアボリジニの聖地で、いつ行っても人っ子ひとりいなかったが、この混雑ぶりは何だろう。日本語ツアーのガイドは相変わらず何も説明しないので、ほかの団体をひきいていたガイドに、以前キングステーブルにはアボリジニが彫ったものがあったけれど、というと、彫ったものならそこらにたくさんあるじゃない、という返事。それはそうだ、おびただしい数の観光客の落書きが岩盤の上を覆っている。
 それにしてもあまりにもひどい。ブルーマウンテンが世界遺産に登録されるとかされたとかで、こんなにひどいことになってしまったのだろうか…。
 ここもキングステーブルの一部だということだったが、私が孫に見せたかった場所とは全然違っていた。
 せめて孫がトロッコ電車を喜んだことだけが救いになった。

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2012年4月18日 (水)

シドニー・1・タロンガ動物園

 シドニーへ行った。シドニーは40歳代後半に4年間住んだ町だが、その後ロンドンで6年暮らしたので印象が薄れてしまい、あまり思い出すこともなかった。でも…サーキュラー・キーの船着き場にたたずみ、右手にオペラハウス、左手にハーバーブリッジを眺めたとき、忘れていた昔の記憶が青空からシャワーのように降ってきた。この地を離れてあっという間に14年の歳月が流れていたのだとつくづく思う。
 オーストラリアはこんなに美しいところだったのか…シドニーはこれほど明るく気持ちの良い町だったのか……サーキュラー・キーからフェリーに乗り、海風に吹かれながら次第に離れていくシティーの高層ビル群や金色のシドニータワーを眺めていたら、それらすべてがマリンブルーに染まっていることに気がついた。海にヨットが点々と浮かび、空にはカモメが飛んでいる。青と白のコントラストの美しさ…私はシドニーで暮らし始めたころ、なぜヨーロッパに比べて物足りないなどと感じたりしたのだろう。シドニーはこんなに美しい、やっぱり誰かのいうように世界で一番美しい町なのではないかしら…と少し興奮気味に思ったりした。
 今回は孫の手をひいて出かけたので、まずはタロンガ動物園。シティーの対岸にあり園内からはユウカリの木立越しにオペラハウスやハーバーブリッジが見える。
 子どもは元気だが、私は少し歩き疲れてひとりでカフェテラスに座りこんだ。となりのテーブルに子ども連れの夫婦がいる。父親が、はしゃぎまわっている子どもたち4人に座りなさいといっている。シット ダウン プリーズ。すると、子どもたちはおとなしく椅子に座る。父親はサンキュウ ベリー マッチと返す。ふーん、そんなものなのね。子供扱いしないのね。まぁ、日本語に訳すとおかしいけれど、そんないい方は当たり前なのかもしれない。確かに、そうだったかもしれない…またまた難破した記憶が甦ってきた。

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2012年4月 7日 (土)

 桜が咲いた。我が家の前の坂道に。
 子どもたちが小さい頃は半分くらいの大きさだったが、30年たって大木になった。
 毎年美しい花が咲き、マッチ棒のような小さな実をつける。
 木の不思議…命の不思議…しみじみと満開の桜を見上げる。

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2012年4月 3日 (火)

松本記念音楽迎賓館


写真はNatty Salonの作品

 多摩川の流れを見おろす世田谷の丘に、パイオニアの創始者故松本望氏の旧宅がある。音楽会が開かれる時と桜の季節以外は、静かに門を閉ざしているところだ。なだらかに傾斜した庭にはふたつの茶室があり、回遊できるようになっていて、館内はパイプオルガンのある練習室や音響設備の整ったホールのほか、応接室や和室、プライベートゾーンなど広大だ。
 今回開催されたお花(アートフラワーと生花)を中心にした手彫りガラスやラッピングの展示会…館内のアートフラワー、庭園の生花、ラッピングのコーナー、そして手彫りガラスのふたつのコーナーなど、全館を借り切っての催し、素晴らしいといってくださる方が多かった。
 『家庭画報』や『花時間』にも紹介されたせいか、嵐の日を除いて毎日500人以上の来会者があった。私の手彫りガラス教室Natty Salonの生徒さんたちも出展。1年前からデザインを考えて彫りあげたものだ。ロンドン時代の生徒さんたちや、古い友人たち、色々なお付き合いの方たちもたくさん来てくださった。本当に有難うございました。

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2012年3月26日 (月)

JKN21まち歩き*横浜


[写真]中華街はちょうどお祭り!


 今月は17日についで20日には「まち歩き」に参加。JKN21とは、NPO人間環境ネット21という法政大学人間環境学部卒業生(社会人学生)や教授がメンバーとなり創設したNPO法人だという。知人の鎌田さんにご紹介いただいた。
 横浜は産業考古学会の会員だった父が熱心に調査していた場所。今回の「まち歩き」は横浜だということで、思いきって参加した。父の遺した資料がたくさんあって捨てるに捨てられないのだが、これを機会にと前日に出して読んでみる。なかなか面白い。
 当日は暖かな良い天気で、初めて会った方々ばかりなのにとても楽しく、また横浜のことが良く分かってとっても勉強になった。説明して下さったのは26歳の上村さん、お若いながら、専門的な素晴らしい説明だった。
 それから素敵な絵を描く柴山明子さんにもお会いした。珍しい墨絵でとても可愛らしい絵です。是非ご覧ください。
ホームページ: http://olivetamaru.jimdo.com/

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