2017年10月18日 (水)

太宰治の生家『斜陽館』

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斜陽館

 

太宰治の生家は青森県五所川原市の金木にある。以前は旅館だったが、今は、記念館『斜陽館』として修復され公開されている。私はひと目見て、あまりに立派なので驚いた。まるで、イギリス貴族の館の日本版。太宰が誕生した部屋や、300人ほどいた小作人から小作料を受け取った銀行の窓口みたいな「店」、3方向に広がる中央階段、貴賓室のような洋間、そして巨大な蔵。太宰治は、津島家のこのような家(青森で4番目の資産家だったという)で6男として生まれた。太宰は利発で特別感じやすい子どもだったのかもしれないが、長男以外は財産を継ぐこともない時代、責任もなく生きる目標もなく、ただ洒落者として放蕩するうちに共産思想に囚われたとしても不思議ではない。そして薬を常用し、常に死に対する願望を持ち続けたのも仕方のないことだったのかもしれない。私は去年、アンソロジーシリーズの1冊『人魚』を編集した際太宰を取り上げ、また今回は生家を見て……それまで太宰の作品は好きではなかったけれど、ちょっと理解したように思った。

雨は相変わらず降り続いていたが、太宰が子どもの頃に遊んだという雲祥寺を歩き、移築復元された旧津島家新座敷へ向かう。これは兄の結婚を機に建てられた離れだったが、そこに勘当された太宰が戦争中疎開していた。太宰は戦争中に、良い作品をたくさん書いているのだ。売店で『津軽』と『津軽通信』(奥野健男の解説)を買う。『津軽』は学生の頃読んだが、『津軽通信』は知らなかった。A子と二人で『斜陽館』の前の店でネマガリダケが乗ったラーメンを食べて新青森駅へ。4時38分発の新幹線はやぶさ28号で帰京。

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2017年10月17日 (火)

日本のワーズワース・大町桂月

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大町桂月の墓

 

翌日は、大町桂月ゆかりの蔦温泉旅館に泊まった。質の良い温泉で知られる蔦温泉、湯は透明で少し熱め、評判通りだ。風呂場は天井が高く、太い梁が渡してあり、湯治場の面影を残して素朴だが趣がある。

大町桂月は、秘境を探検し、保存を訴え、そこに永住し永眠したいと願った詩人。イングランドの湖水地方をこよなく愛し、ダヴ・コテッジ、ライダル・マウントと移り住んだイギリスの桂冠詩人ワーズワースのようだ。大町桂月は明治2年に高知で生まれた。桂月は高知の桂浜からとった号。父は土佐藩士。東京帝国大学在学中から文学活動に勤しみ、後に博文館に入社。明治41年、博文館の編集長だった五戸町出身の鳥谷部春汀に伴って、平福百穂とともに十和田へ赴く。桂月は十和田周辺の美しさと雄大さに深く感動し、その10月に15章からなる紀行文『奥羽一周記』を発表し、十和田を世に紹介した。大正11年、日本の名山を10年で踏破する計画を立て、富士山をはじめ、北アルプス、南アルプスの山々に登り、多くの紀行文、漢詩、俳句、和歌を残した。十和田、奥入瀬、八甲田を愛した桂月は大正12年に「十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願」という請願文を起草。十和田は昭和11年国立公園に指定された。

桂月はそのなかでも、特に蔦温泉を好み、家族ともども本籍を蔦温泉に移した。大正14年、蔦温泉で没。享年57歳。

次の朝も激しい雨。A子に、大町桂月の墓に絶対に行きたいというと、雨のなかつき合ってくれた。国道から林に入り、少し歩くと苔むした石段があり、上り詰めた先にそれほど大きくはない自然石が見えた。『大町桂月の墓』とある。桂月の墓の後ろに大きなぶなの老木が枝を伸ばしていた。紅葉にはまだ早く、緑の葉が雨に打たれていた。雨の匂い……湖水地方のコッカマスで生まれたワーズワースも、古い教会の庭で永遠の眠りについていた……。

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2017年10月14日 (土)

ピラミッドなのか雨乞い遺跡なのか

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キリストの墓の傍に「大石神ピラミッド」がある。そこもまた「竹内文書」に記されている場所だ。それによれば、「日本にはエジプトのピラミッドより古いピラミッドが7基ある」とのことで、これがその一つだという。ピラミッド説はちょっと無理があるなぁ……とも思うが、なかなか神秘的な場所で、飛鳥をはじめ日本のさまざまな場所に見られる一種の巨石文化の遺構ではないのか、と私はここでも妄想に囚われる。ここは一説には雨乞いをした場所ではないか、ともいわれているらしい。もしかしてゾロアスター教の…などということはまずないだろうが…。それにしても、一枚の大岩が自然に割れたとは考えにくい。周囲に岩は見当たらない。でも……昔は岩がごろごろしていたのかもしれないし、それが人によって片付けられたのでは、などと疑ってみる。とにもかくにも、私にとって、そこはキリストの墓よりもなお興味深かった。小高い土盛りの上に大きな岩が点々ところがっている、それだけで心が騒いでしまう。

そうこうしているうちに、空模様が怪しくなってきたので、雨になる前に夕飯に何か買わなくてはと、「岩場」を下りて「役場」の方へ向かう。店は少ない上にほとんど閉まっていて、やっとヤマザキの看板のあるよろずやを見つけて、夕食用と翌日の朝食用おにぎりを買い、温泉会館に戻る。温泉に浸かり(温泉はとても良い)、物産館で買ったとうもろこしと梨とヤマザキのおにぎりを食べ、二人でいろいろ積もる話をして11時ごろ就寝。

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2017年10月13日 (金)

キリストの墓

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長い間行ってみたいと思っていた青森県の新郷村。私の変わった趣味にいつも付き合ってくれるのは高校時代の親友A子。彼女とは50年前からニューギニアにいく約束をしているのだが、まだその約束は果たされていない。東北新幹線には初めて乗ったが八戸まで3時間あまり、信じられない速さだ。

途中、物産館に寄ったり食事をしたりして新郷村に着いたのは午後3時頃。まず、A子が予約してくれた新郷村温泉会館に行って荷物を下ろしたが、温泉付き素泊まりの施設で、なんと一泊2800円。自分で布団も敷かなければならない。新郷村の宿泊施設はそこしかないといっても、本当に大丈夫だろうかと怪しみつつ、それでもまずはキリストの墓へ。

車を降りて、らせん状の坂を上って行く。丘の上には土饅頭が二つあり、それぞれ「十来塚」と「十代塚」と書かれ、木の十字架が立っている。それがキリストとキリストの弟イスキリの墓だという。「21歳で来日したキリストは33歳でユダヤに帰国し、布教活動をしたが捕えられて磔刑に処せられたとされるが、実は弟のイスキリが身代わりとなったもので、キリストはその後再び来日し、106歳まで生きた」と、説明板にある。これをばかばかしいと一笑に伏すにしては、あまりにも興味深い。

なぜこの村にキリストの墓があるのか。これは、昭和初期、茨城県にある皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)の管長、竹内巨麿(きよまろ)が興した天津教に関係があるらしい。天津教は、「神武以前の天皇の血統が人類の祖先となって世界を統治していた」とするもの。天津教は、当時の国民意識の統一と国威発揚を目ざした軍国主義の方針と相俟って、多くの信者を抱えた新興宗教だった。竹内は皇室に対する不敬罪の容疑で逮捕されるが、結局無罪になる。天津教の経典のような「竹内文書」には、キリストもその範疇にある(天皇の子孫ということ)とされ、キリストの遺言まで記されている。それにしても「竹内文書」と呼ばれる古文書は面白い。もちろん古文書ではなく捏造されたものには違いないのだが、とにかくその奇想天外な物語は、まるでイギリスの宗教的ファンタジーのようだ。

それにしても聖書にはないイスキリという弟がいて、キリストの身代わりになるなどというところは、まったく日本的だ。西洋では主従関係での身代わりは美化されているようだが、兄弟は往々にして仲が悪いものなのだ。とにかく、書いたのは教祖自身なのだろうが、最初に新郷村に目星をつけておいて、物語の構想を練ったのか。でも、なぜこの新郷村(旧戸来村)に焦点が当てられたのだろう。特徴のある風習、方言の強い言葉などが都合の良いように解釈されたのだろうか。私としては……江戸末期ごろにキリスト教の宣教師(多分、青森ならロシア正教だろう)が布教のためにこの山深い寒村にきて、何らかの原因で命を落としてしまった、村人たちは宣教師を葬ったが、長い年月の間に宣教師はキリストとして祀られて……などと妄想するのだが、多分そんなことなども、ないのだろう。結局、すべては作られたもの。どんな村にも地形的には小高い丘も平坦な場所もある。

いずれにせよ昭和初期、青森県の山村で始まった騒動は、今や、大々的なお祭りにまで発展し、6月には多くの観光客を集めるという。この村に伝わる盆踊り歌「なにゃどらや、なにゃどなされの、なにゃどらや…」は、ヘブライ語で歌われる古代ユダヤの軍歌に酷似しているという説がある。けれども、民俗学者柳田国男は女性が男性に呼びかけたもので「なんなりとおやりなさい…」などという意味だと解釈している。私としては、農耕民族の収穫祭に相応しい柳田説に説得力があると感じるが、ヘブライ語説はまた別の意味で楽しい。

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2017年9月24日 (日)

『キャッツ』

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写真は四季の『キャッツ』

 

孫たちがニューヨークで『キャッツ』を見たらしい。ニューヨークではまだやっているのかしら。もしかしたらリバイバルなのかもしれない。『キャッツ』はロンドンで1980年代の始めから20年以上続いて終わったのだが、舞台がいかにもロンドンの下町らしい感じで(ただし、キリスト教的なところはなかなか理解に苦しむが)楽しく、私はロンドンで5回ほど見た。2002年だったか、最後の公演も見た。でも数年前、息子はロンドンで『キャッツ』を見たというし、日本でもまだやっているようなので『キャッツ』はなかなか終わらないらしい。2010年、私は日本語でも見たいと思って、親友と一緒に四季の『キャッツ』を横浜まで見に行った。彼女は、猫は大嫌い!といいながら付き合ってくれた。ロンドンでは海賊猫グロールタイガーの歌に確か、テームズ川が出てきたと思うのだが、日本では隅田川を思わせる言葉があったように思う。それならば、ニューヨークではハドソン川が出てくるのだろうか……などとつまらないことを考えてしまう秋の夜長だ。そういえば…2010年の3月に『キャッツ』のことをブログに書いたことを思い出した。

http://natty8.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-1.html

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2017年9月19日 (火)

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7月が「忙」という字の絨毯に乗って空の彼方に消えてしまい、おろおろしているうちに8月も別の意味で時間に追われ、またまた9月は気が付けば19日。3連休も終わって、ささやかな庭に、彼岸花や白い水引き草、赤い水引き草の花が咲き、すすきの穂や野ばらの蔓が伸びている。北朝鮮がミサイルを飛ばしたり、台風がきたり……そうして、昨日は、ニュースと天気予報を見ようとテレビをつけると、女性議員が暴言を吐いたという話題でもちきり(一日じゅう、しかも全てのテレビ局で…)。低俗なテレビに呆れはてているうちに(彼女が職務上、不正を働いたならともかく、ただの内輪揉めでなぜあんなに大騒ぎしなければならないのか分からない)、一日が終わってしまった。…松茸ご飯が食べたいなぁ。

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2017年8月29日 (火)

ジョージ・セル指揮・クリーブランド交響楽団

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私が大学生の頃、クラシック音楽に興味のある友人たちは、ヨーロッパの楽団の演奏を好んでいたように思う。ベルリンフィル(カラヤンの指揮だった)やウィーンフィル、パリ管、BBCとか、チェコフィルなどだ。確かに私もヨーロッパのオーケストラのレコードをけっこう持っていたが、実はアメリカのオーケストラの演奏に新鮮なものを感じていたのだ。クリーブランドやシカゴが全盛で、同じベートーベンやブラームスでも、ヨーロッパのものより少しテンポが速く、音色が明るくて軽快で、演奏者の指がよく回るという印象。ただでさえ暗い事ばかりを考えがち(私だけだったかもしれないけれど)な青春時代に、ぱっと光が射すような気がしたものだ。今朝、久しぶりにFMでジョージ・セル指揮・クリーブランド交響楽団の『フィガロの結婚』(モーツァルト)を聞いて、当時の気持ちを懐かしく思い出した。

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2017年8月19日 (土)

地震・雷・火事・おやじ

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「地震・雷・火事・親父」という言葉をふと思い出した。外はものすごい雷雨だ。窓ガラスを打つ雨がピチピチと異様な音を立てているのでよく見ると、雹が混じっている。雷は天上高く駆け巡り、雷鳴は少し遠のいたかと思うと頭上から落下し、稲妻は薄暗い部屋のなかを一瞬青い閃光で染め上げる。今年の夏はじめての激しい雷雨だ。

ところで「地震・雷・火事・親父」なんていう言葉は、今の子どもたちは知らないだろう。地震や雷や火事は今でも確かに恐ろしい災害だが、昔は「おやじ」の存在も災害みたいなものだったのだろうか。確かに、災害そのもののような「おやじ」もけっこういた。ひどいおやじは徹底的にひどかったが、この言葉はそういう意味ではない。おやじは一家の主人で特権がありコワイ人だったのだ。なかには横暴で我儘で身勝手なおやじもたくさんいただろう。今もいるかもしれないけれど、そういう人は家族から評価されないし、まずとても少ない。今は昔のおやじみたいに威張っていたら生きていけない世のなかなのだ。それにしても、ひどい雷雨……。

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2017年8月14日 (月)

誕生日

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誕生日祝いにスペイン料理を堪能

*写真は修善寺のO・F・ホテルの花のサラダ

 

夏がきてまたひとつ年をとった。子どもの頃の誕生日は、ただ晴れがましくて嬉しくて、はやく大人にならないかなぁ、と思っていた。青春時代は誕生日というだけでなぜか無性に感動的、流されていく陶酔感のようなものがあった。30歳代中ごろから、希望や願望とともに、節目として過去の反省なども加わった。そして今は……さしたる感動も願望もなく、かといって反省してみても手遅れなので反省もいい加減。

でもよくよく自分の心に聞いてみると、たったひとつ、これまでになかったものがある。それは私なりの使命感だ。生きることは尊い。なぜならひとつの生命は他のたくさんの生命に支えられているのだから。私たちの日常生活は、動植物の生命を犠牲にして成りたっている。人間だけではない、地球上のすべて、どんな生き物も他の生命を吸収しなければ生きていけない。

そう…だから、生きている限り、私のささやかな使命に忠実であれ、そして感謝して生きよ、と……誕生日のひとりごと。

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2017年8月12日 (土)

巣をかける蜘蛛

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久しぶりに蜘蛛が巣をかけるところを見た。40分ほどで大きな美しい網ができあがった。林のなかに佇み、白い霧を含んだ蜘蛛の糸が鈍く光っているのを眺める。網に比べて蜘蛛はそれほど大きくはない。多分、珍しくもない蜘蛛なのだろうけれど、あまり見たことがない。女郎蜘蛛や家幽霊蜘蛛はよく見かけるが色や形が違うし、草蜘蛛は網の形が違うから、この蜘蛛はなんだろう……。それにしても、一心不乱に網をかけていく姿は感動的だ。

私が子どもの頃には、東京の大田区にも自然があって、わが家の庭にもヘビやトカゲがいて、よく石の下に小さな白い卵を見つけたものだし、夜はガラス戸にヤモリが張り付いていた。無花果の木にはカミキリ虫がギイギイ鳴いていたし、チョウやトンボやハチが花壇の周りを飛び回り、裏庭には蟻地獄があった。みな大好きなamigoだった。その中でも、私は蜘蛛に一番興味があった。それは私にとって一番「不思議な生き物」だったからだ。あんな小さな体から長い白い糸が出てきて、それを道具も使わずに上手に編み上げて餌を捕る。なんて素晴らしい!本当に!!

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