2018年1月 9日 (火)

歌集『その名オアシス』

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年末に歌集が送られてきた。『その名オアシス』は志摩の歌人Yさんの歌集。歌集をいただくことも多く、いつも感心しながら頁を繰るのだが、この歌集はどこか特別のものがあり、とても心に沁みた。誠実な、何の媚もない人の心を芯から揺さぶるような歌。歌はどんなに技巧をこらしても、また、読む人をあっと言わせる手法を駆使しても、感動を呼び起こすことがなければ面白くないのだ。
彼女は西伊豆で生まれた。志摩に嫁ぎ、夫と茶房『オアシス』をひらいて懸命に働き、息子2人と娘を育てた。息子は商船大学を出て船乗りに、娘は結婚して海を越えてアメリカへ。彼女は健康で働けることが有難いと言い、食品を扱うプロとして、レトルト食品のまずさを嘆きペットボトルの茶に疑問を投げかける。彼女はひと言でいえば「海の人」だ。因みに父も兄も漁師、姑は海女だ。彼女の五感は海に向かい、心いっぱいに海が広がる。
霞立つ昼の峠に吹く風に海女の磯笛湿り帯びゐつ
音も無く樋を流るる夜の雨ああ訳もなく命いとしも
あとがきに「浜島に移り住んでより折り折り、磯笛峠に立って海を眺めながら故里に思いを馳せます。裸電球一個の雫の落ちて来る薄暗い田子隧道で「明日の高校入試には行かないで」と言った母……」
学歴のなくばひと世を身体張り働きて来しありがたきかな

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2017年12月29日 (金)

藝大『メサイア』

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クリスマス前に母をつれて上野の文化会館大ホールにヘンデルの『メサイア』を聴きにいった。もともと母と妹が母校の後輩が演奏するというので聴きにいくつもりだったところ、妹の都合が悪くなってしまったので急遽私が母を連れていくことになったのだ。そうはいっても、私にとっても『メサイア』は学生の頃、毎年、演奏に参加していた馴染みのある曲。文化会館大ホールも、大学時代、アメリカ演奏旅行の前の定演をここでやり、当時はこんな大きなホールで演奏するなんて、と思って緊張しつつドボルザークの『新世界』を吹いたけれど、今眺めてみると本当に小じんまりとしたホールで、しかもかなり年代物という感じさえする(日比谷公会堂ほどでもないが)。
入り口のホールもすっかりクリスマスの雰囲気で、大きなツリーが飾ってある。席は中央の中心近く、通路の後ろだったので人の頭が邪魔になることもなかった。プログラムには英語と日本語の歌詞(すべて聖書の言葉)が載っていたが、英語は古単語が多く日本語も昔の直訳。それでも、このメサイア公演は毎年やっていて今年で67回目だという。
『メサイア』は最初のシンフォニーから始まり、テノールが2曲続きコーラスになる。And the glory of the Lord shall be revealed, and all flesh shall see it together……が始まったとたん、あたかも眩しい光を当てられて目を覚まされたように陶然とする。なんて艶のあるきれいな声、なんて美しいの!若い人の声ってこんなにきれいだったかしら。彼らは声楽科の学生たちでプロの卵なのだから歌唱力もあるのだが、声そのものが清らかで甘いというか…。そういえば、私はいつの間にか周囲に大人の声(というか年配者の声)しか聞かなくなっていたのだと思った。学生の頃は仲間がみな若かったから、声の質が特別きれいだとは思わなかったのだが、これはまさしく若人の声!12番のFor unto us a Child is born, unto us a Son is given……も素晴らしく、もちろん44番のハレルヤコーラスも恍惚状態で聞いた。昔は、ハレルヤコーラスが始まると聴衆は全員起立したものだが、今はほとんど立つ人はいない。私の隣りに座っていた年配のご夫婦はさっと立ち上がったが、私は立とうとした母を押しとどめた。私の見える範囲では立ち上がった人は10人もいなかった。何にせよ、ソロの歌手も藝大フィルハーモニア管弦楽団も良かったが、合唱は想像を絶する素晴らしさだった。そしてトランペット!トランペッターは若い女性。キリストの復活で演奏されるトランペットのソロはとても難しいのだが、今回はそれも素晴らしかった。

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2017年12月20日 (水)

歌舞伎

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先日、国立劇場に歌舞伎を見に行った。吉右衛門、菊之助、雀右衛門などが登場。歌舞伎は小学生の頃から祖母に連れられてよく見に行った(ほとんど毎月)が、今思えば子どもの頃の印象は、舞台が華やかできれい、女性(しかもお姫さま)に見えるが実は男性らしいという不思議、それに幕あいで食べるお弁当の珍しさ、という程度だったが、さすがに高校生ともなると古典歌舞伎の面白さも理解し、そのうち新作歌舞伎にも興味を持った。20歳ごろに見た二月堂のお水取りを題材にした『韃靼』(松緑と梅幸が演じた)は素晴らしく、翌年、奈良までお水取りを見に行ってしまったくらいだ。近ごろは歌舞伎を見ることもまれだが、今回は歌舞伎好きのA子が誘ってくれたので出かける。吉右衛門は好きな役者だ。何十年も前に『一谷嫩軍記』で敦盛の身代わりに我が子を差し出した熊谷直実に扮した吉右衛門が、本当に涙を流すのを見た。その時、私は花道のそばに座っていた。流れる涙をそのままに花道を引き上げていく姿を見て、思わず胸がいっぱいになって私も泣いてしまった。今回は通し狂言『隅田春芸女容性』、それもまた、妻の弟が自分のために工面してくれた金を、そうとは知らずに殺して奪ってしまった由兵衛の苦悩が描かれるのだが、演じる吉右衛門は涙が止まらないという感じだった。私は本物の涙を流す歌舞伎役者は吉右衛門以外に見たことはない。もしかしたら見たことがないだけで他にもいるのかもしれないが、最初見た時、感動するとともに、正直言ってどこか違和感があった。私としては、歌舞伎は人形浄瑠璃と切り離して考えることができず、厚塗りの化粧や型にはまった仕草などが何となく人形のようで、演じる人はむしろ人間らしくない方が良いような気がしていた。科白や仕草だけで観客を泣かせるのが伝統芸能の歌舞伎だなどと思っていたのだ。そういうわけで、その時はあまりにも現代的すぎると感じてしまったのだが、登場人物が人間らしく見えない方が良いなどということは決してないのだ。やはり吉右衛門は名優である。

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2017年12月13日 (水)

加古川・「エデン」

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かつめしのエデン

 

加古川駅で妹が「かつめし」のパンフレットを見て、ランチはこれね、という。加古川の「かつめし」は、戦後に始まりだんだん名物となり、今は町の代表的な「食」になっているらしい。加古川は初めてなので、駅の案内所で、「かつめしレストラン」を聞く。駅から近いところにどこか?と聞くと「エデン」という老舗店を教えてくれた。数分歩いて目的の店を見つけたが、店は熱海にあるようなレトロな外観で、店内も同様。1時を過ぎているのに店はいっぱいで、ウエイトレスがひとりで忙しそうに走り回っている。カウンターのなかではふたり(私たちより少し若いくらい)の女性が、これまた忙しく立ち働いている。私たちは名物のカツレツの上にドミグラスソースがかかった「かつめし」と、同じようにドミグラスソースのかかった「ハンバーグスパゲティー」を注文して、白ワインを1杯ずつ飲んだ。いつもは昼酒はやらないことにしているのだが、今日は「石の宝殿」も見たし……(だから何だというのか、訳が分からないが)。ワインはなみなみとつがれ、まったく気分が良い。東京みたいにワイングラスの3分の1しか注いでくれないなんてことはない。私たちはワインを飲みながら、ゆっくりとたくさん食べて店を出た。私たちが最後の客だったらしく、出口でお金を払う時には、忙しく立ち働いていたウエイトレスが、すみっこで「かつめし」を食べているのが見えた。みなてきぱきとよく働くお店、という好ましい印象。「このお店は女性ばかりでやっていらっしゃるんですね、ごきょうだいですか」というと、「私と彼女は同級生なんですよ」とカウンターのなかにいた女性を見ながらいった。料金も安くて満足。親の代に始めた店を、娘さんが継いでいるのかしら……。加古川からJRで三ノ宮に、そして私鉄に乗り換えて新神戸へ。新神戸から新幹線で帰京した。

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2017年12月10日 (日)

石の宝殿

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11月に父の23回忌で神戸へ墓参に行った。有馬温泉に一泊した後、念願の「石の宝殿」を見に行く。妹が一緒に行ってくれるというので、三ノ宮でJRに乗り換えて宝殿駅へ向かう。「石の宝殿」とは「生石(おうしこ)神社」にある不思議な巨石だ。ここは古くから「鎮の石室(しずのいわや)」として風土記や万葉集にも見られ、松本清張の長編小説『火の路』にも登場する。
駅からタクシーで生石神社へ。駐車場で降りて神社に入って行くと、鳥居の下で、七五三の晴れ着を着た子どもたちや正装した大人たちとすれ違った。石段を登ると拝殿があり、拝殿の奥に巨大な岩が……神社のご神体だ。三方を切り立った岩の壁で囲まれ、水が溜まった側溝のようなものの上に巨石が鎮座している。岩には浅い切り込みが見られ、人工的に削り取られた部分が富士山のような形をしている。形や大きさなどが奈良の「益田岩船」に似ているとして、清張は『火の路』のなかで、明らかに未完成のこの二つの巨石「両者は偶然に完成にいたらなかったのではなく、必然的な同じ理由で、同時に完成が放棄されたのであろう」、そして「石の宝殿も益田岩船の近くに置かれるべく造られていたという可能性を否定できない」と、主人公の論文を借りて記している。
宝殿の周囲にそびえる岩の上へ登り、上から巨石を見下ろす。樹木が茂り石の破片が積もっている。目を上げれば遠く播磨灘が銀色に光り、瀬戸内の穏やかな風景が広がる。しかしながら、この山はどうやら採石場らしい。岩を削り取った後が生々しく露出している。……それにしても、妹はなかなか上がってこない。やっと登ってきた妹は「いつも歩くのがいやですぐにタクシーに乗るのに、こういう時だけはものすごく元気なのね」などという。確かにそれはいつもいわれることだ。遺跡に立つと神がかりのようにエネルギーが湧いてくる。
神社には古い石段があった。そこはあまりに急なので、近年になって登りやすいように駐車場の脇に登り口を作ったのだろう。私たちは駐車場から入ってきたのだが、古い石段は何とも趣があり、私たちも下りてみようということになった。手すりにつかまりながらそろそろと降り始めたが、下を見ると救急車が停まっているようだ。どうしたのだろうと思っていると、担架に乗せられた高齢の男性が救急隊員に付き添われて、額から血を流しながら車に運び入れられるのが見えた。多分、石段から落ちたのだろう。救急隊員の「奥さん、…」という声が聞こえたので夫婦で降りていたのかもしれない。救急車は出ていき、私たちもやっと下まで降りた。宝殿駅には昼食をとるところも見当たらなかったので、加古川駅まで行くことにしてタクシーを呼んだ。

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2017年12月 5日 (火)

学級日誌

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先日、6年ぶりに中学時代のクラス会があった。いつも会っている親しい友人、また6年ぶりの人もいたし10年も20年も会っていなかった人もいた。そのなかのひとりが当時の学級日誌を持ってきた。担任の先生は国語の教師だったので、ひとりひとりに文章を書かせ、ひとりひとりに丁寧に感想を書いてくださっている。先生はずいぶん前に鬼籍に入っている。
回覧された学級日誌を開くと、それぞれ幼い文章だが中学生らしい純な気持ちが伝わってくる。私の書いたものといえば、まるで記憶になかったのだが驚くべきことに、「私は作家になろうと思ったことがある」などと記している。漫画家の庄司陽子も同じクラスだが、漫画家になる、とは一言も書いていない。でも、彼女は中学時代から「私は漫画家になる」と語ってはいた。それにしても昔の中学生は今と違う。今の中学生より大人なのか幼いのか良くわからないが、「嗜好」がまるで違うことは確かだ。

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2017年12月 1日 (金)

病院で

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朝8時半に家を出て、大森の病院に向かう。ここ10年、貧血の治療のため定期的に通っている。病院に着いて受付をし、血液検査のための採血をしたが、照明のせいか、私の血が何だか妙に黒っぽいと感じて、思わず看護師さんに「人間の血の色って人によって違うのですね」などと、この1週間ひどい風邪が治らずにいるから聞き取りにくいだろうなぁ、と思われる声で訪ねたのだが、看護師さんはぎょっとしたように私を見て、「さぁ」といって目を逸らしたきり何も言わなかった。確かにそんなことを聞く患者はめったにいないだろう。かなり不気味である。『カーミラ』を翻訳しました、などといったら、2歩も3歩もひかれてしまうだろうなぁ。いつもの主治医に会い、診察を受け、会計で待たされ……やっと私の会計番号が掲示されたので、すぐに機械のところに行ってお金を払おうとしたが、どこかおかしい。あら、これは診察受付の機械よ、いやだ、また受付しちゃった、とうろたえ、受付窓口の人に誤って取り消してもらった。4300円ばかり払って病院を出て、薬を買って帰宅した。

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2017年11月28日 (火)

小豆島『二十四の瞳』・岬の分教場

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中山千枚田、そして農村歌舞伎舞台をみて、小説『二十四の瞳』やその映画の舞台となった「岬の分教場」に行く。分教場は明治35年に田浦尋常小学校として作られた。昭和46年に廃校。校舎に入ってみれば、何と、私が小学校に入学した時に座ったものと同じ、ふたり掛けの素朴な木の机と椅子が並んでいて、黒板の横には当時のオルガンも置いてあった。60年前の懐かしい教室の風景だ。
壼井栄の『二十四の瞳』を何十年ぶりかで再読した。大石先生と12人の子どもたちが主人公。次第に激しさを増して行く戦争。大石先生も結婚して3人の子どもに恵まれるが夫は戦死し末の子どもを亡くす。男の子たちは戦地へ行き、5人のうち還ったものは2人、そのうちのひとりは失明していた。女の子たちの運命も過酷で、戦争と貧困に打ちのめされたような短い人生だった子どももいる。小説『二十四の瞳』には愛と思想がある。壼井栄は54歳の時『二十四の瞳』で一躍有名になり、57歳で没した。
映画村で「壼井栄文学館」をみて、そこで記念に『二十四の瞳』の文庫本を買い、昼食をとって寒霞渓、そして西光寺へ。西光寺に、私が大学生の頃から興味を持ち続けている「隠れキリシタン」の墓があり、小豆島にも渡っていたのだ、と感慨無量だった。

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2017年11月24日 (金)

小豆島「江洞窟」の庵主

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フェリーで小豆島へ向かった。雨は止んだが天気は悪い。スペインから持ってきたという1000年オリーブの木を見たあと、巡礼の60番札所、弁財天を祀る「江洞窟」へ向かう。
庵主は97歳の宮城英徹氏。彼は長野県旧制松本高等学校卒。戦後、得意の英語を活かしてGHQに勤務。その後、商社員となってイラクに滞在、80歳を過ぎてから、高野山大学、大学院修士課程で仏教(真言宗)を学び御仏に入門したという。修士論文も立派なものだ。生涯独身で、今も信じられないくらいお元気。いったいどんな人生をおくってきたのだろう、そしてなぜ80歳を過ぎて仏門に入ろうなどと思ったのだろう。戦中戦後の日本で、またイラクで何を見て何を思ったのか……詳しい話を伺うことはできなかったけれど、このような方もあるのだと深く感じ入った。
その後、エンジェルロードと名付けられた砂洲へ。アガサ・クリスティーの『白昼の悪魔』の舞台となったイギリスのバー島やセントジョージ島、有名なフランスのモン・サン・ミッシェルのような感じで、干潮のときは地続きになり歩いて渡れるが、満潮になると渡れないという……イギリスやフランスのものに比べれば規模は非常に小さいが美しい場所だった。

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2017年11月23日 (木)

倉敷「エル・グレコ」で思うこと

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いつもの仲間5人で倉敷と小豆島に行った。倉敷に着いた日は、町を歩いて舟に乗り、古い土蔵を改装したレストランで食事をした。翌朝は、大原美術館を見たあと喫茶店「エル・グレコ」に入る。大きなガラス窓から色づき始めた蔦が風に揺れているのが見える。レトロな椅子に座って友人たちとコーヒーを飲みながら、ふと父のことを思い出した。
倉敷は亡き父と歩いたことがある。父とふたりで旅行ともいえない旅行をしたのはそれ一度きり。どこのホテルに泊まったのか記憶にないが、この「エル・グレコ」で父がコーヒーとチーズケーキを注文してくれたことはよく覚えている。当時、私はまだ大学生で卒論の資料を集めるため、大学で募集された韓国旅行に友人と一緒に申し込み、関釜フェリーに乗るために下関へ向かうことになっていた。同じ日に父は福山へ出張だった。「それなら1日早く出て、倉敷でも案内してやろうか」と父が言ったのだ。行きの新幹線のなかで会社の人に偶然出会った。父が「私の娘です」と紹介すると、その人は「まぁまぁ良いですから」と、父の顔もまともに見ないで立ち去ってしまった。父は「なんだ、いったい何を考えているんだろう」と少し不愉快そうに言いながら、どこか嬉しそうだった。
翌朝父と別れ、私は下関の集合場所で友人と落ち合い、色々な大学から集まってきた学生たちに混じって夜行のフェリーに乗り込んだ。夕食後、友人とふたりでフェリーのなかの喫茶室に座ってお茶を飲んでいたら、ちょっと格好の良い、いかにも商用で出かけるといった感じで忙しそうにそわそわと室内を見回していた若い男(といっても30歳は過ぎていただろう)が近づいてきて、「君たちは大学生ですか」と話しかけてきた。どこから来たのか、どこの大学か、なぜこのフェリーの乗ったのか、などと聞いた後、明日、自由時間はあるのか、もしあるのならソウル大学の男子学生を紹介するから会ってみないか、とても頭の良い気さくな学生たちだから是非紹介したい、タクシーに乗ってくれば良い、と言い一枚のメモを渡した。私たちは20歳を少し過ぎたばかり、その男の言葉を全面的に信じ、疑うことなど思いもしなかった。翌日、指定された時間がもし自由時間だったら、彼女と二人でその場所へ行っていたかもしれない。そうしたらどうなっていただろう。犯罪に巻き込まれて被害者になっていたかもしれない。ずっと後になって、ある人にこの話をしたら、えぇーと驚かれてしまい、「何を呑気なこと言っているの。北朝鮮に拉致されるところだったんじゃないの?」と言われた。そうかもしれない、確かにそうかもしれない、まさしくそんな時期だった!その時はそう思ってぞっとしたが、今は、考えても分からないことを考えても仕方がない、と思っている。あまりにも遠い昔のこと……父を思い出しながらコーヒーを飲んでいたら、とんでもない方向に記憶が流れてしまった。

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