2018年7月13日 (金)

『クロード・モネ』ロス・キング著・長井那智子訳

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http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=862&st=4

私は子どものころから書くことが好きだった。日記も小さい時から書いていたし、時々お話を作って書きとめたりもしていた。手紙やはがきを書くのも好きで、就学前に祖父母からきた全部ひらがなで書かれた「お返事はがき」も大切にしまってある。私にとって、そうして書いたものはすべてが「秘密」だった。誰にも見せたくない……日記は暗号みたいになっているページもあったし、手紙は出さない手紙のほうがもっと大事だった。ジェーン・オースティンは、自分の書いているものを見られたくないので、誰かが入ってきたことが分かるように、部屋のドアの軋みを直させなかったという。その気持ちはよく理解できる。そんな内気な私だったのに……おかしなものだ。

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2018年7月11日 (水)

映画『えんぴつ泥棒』

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孫たちが通うアメリカの学校で、夏休みに入る前の日(最後の授業が終わった日)、親子で映画を見るイベントがあったらしい。映画は広い芝生の校庭に設えられたスクリーンで見るようだが、ホットドッグやハンバーガー、タコスなどのフードトラックもくるという。日本よりも日が暮れるのが遅いので、軽い夕食をとりながらのんびりと待っているのだろう。
そういえば……私が小学校低学年の頃(1950年代後半)にも、夏休みの始めに学校の校庭で映画鑑賞会があった。自由参加で、確か数回しか開催されなかったと記憶しているが、『えんぴつ泥棒』とういうモノクロ映画がとても印象に残っている。当時、映画やラジオドラマ、童話などによくみられた「学級もの」だった。口数の少ない賢そうな少女が主人公。彼女がクラスの仲間が捨てた短いえんぴつを拾っては持ち帰るので、みな、彼女を奇異の目で見るようになる。そんなある時、男の子の色鉛筆の箱がなくなり、女の子に疑いがかかる。事実を確かめるために担任教師が女の子の家を訪ねると、女の子は短くなったえんぴつで人形を作っていたのだという。ある時、物乞いをする親の傍でえんぴつで作った人形で遊んでいる子どもをみて、そんな子どもたちに贈ろうと人形を作っていたのだと。なくなった色鉛筆はすぐに見つかり、クラス全員が恵まれない子どもたちのために人形を作ることになる、という「思いやり教育」の映画だった。私は子どもなりに(子どもだから)とても感動した。体育館の外壁に張られたスクリーンには、強烈な光に集まってくるたくさんの蛾や羽虫や細かい昆虫の影が行きかい、小さな弟や妹たちは校庭の砂で山を作ったりして遊んでいた。映画が終わると、母に手を引かれて家に戻り、すぐに眠った。あの当時の何ともいえない暗闇の神秘が、子ども心に映画という印象的な夢を残したのかもしれない。

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2018年7月 7日 (土)

フルート・アンサンブル

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先週末、友人のフルート・アンサンブルを聞きに行った。音もそろっていて、皆、楽しそうに吹いていて、とても良い演奏会だった。そして友人の先生が青木明先生にも教えを受けた方だということがわかりとても懐かしくなった。青木先生はフルート・アンサンブルに力を入れていらした。
私が青木明先生のもとへ通い始めたのは16歳の時だった。それ以前にも別の先生にフルートを教えていただいていたが、高校生になり本格的に音大をめざそうと高校の音楽の先生に相談したところ、青木先生を紹介して下さった。
青木先生のお宅に母と一緒に初めて伺った時、先生はまだお若く、ご子息はまだ本当に小さくて、お嬢さまは生まれていなかった。先生は初対面の私をご覧になって、「あなたはフルートに向いていますよ」とおっしゃった。私も母も、もちろん喜んだ。きっとひと目で私の才能を見抜かれたのだわ、などとは全然思わなかったが、そういって勇気づけてくださるのだわ、と思った。でも本当はそうではなく、先生は私の口の形と歯並びを見てそういわれたのだった。フルートに適した形の唇と歯並び。それは残念ながら、美しい女性のおちょぼ口とは正反対の形だったのだが……。
フルート・アンサンブルの当日は、モーツアルトの『アンダンテ』を演奏した方がいて、それも懐かしかった。高校生の時に舞台で演奏した曲だ。譜面上は簡単で地味だが感情を表現しにくい曲で、そういう意味でとても難しい。『アンダンテ』には曲の最後にカデンツァがある。青木先生は、自分で作ってごらんなさい、とおっしゃってそれは宿題になった。私は、何とかそれらしく作って(ランパルやニコレのカデンツァを聞いて、なるべく同じようにならないようにして)次のレッスンでおそるおそる吹いたら、「良いねー」と褒めてくださったことを昨日のことのように思い出した。月日の経つのは本当に早い。まさしく「光陰矢の如し」だ。

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2018年7月 1日 (日)

斎藤潔&真佐子・水彩画二人展

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   『St.マダレーナ教会』

 

斎藤さんご夫妻の個展は今回で7回目。淡い色合いの美しいスケッチ画だ。ご主人は「光と影の風景画」、奥さまは「3色絵の具の静物画」を得意とされる。ご夫妻はともに70歳代後半。会場にはたまたまご主人だけがいらして奥さまには会えなかった。昔から「文は人なり」、などというけれど、まさしく「絵画も人なり」だ。ご主人は仕事から離れてから描き始めたというが、お人柄そのもののような穏やかな、それでいて何というか、とてもゆきとどいた(技術的にも精神的にも)完成度の高いスケッチだと感じた。圧巻はオーストリアとの国境に近いイタリアの山岳地帯ドロミテの風景画。特にご案内のはがきにもあった『St.マダレーナ教会』は、観ているうちに誰でもきっと、知らぬ間に絵のなかに佇んでいる自分を発見するに違いない。

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2018年6月29日 (金)

小鳥が死んだ

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私の可愛がっていた個性派の金魚「小鳥」が死んだ。大き目の睡蓮鉢に移して1年ほどだ。近所の神社の夏祭りで孫がとった金魚だが、7年ぐらい生きただろうか。気が荒いおばさん金魚でジャンピング・クロコダイルのように飛び上がるかと思えば、「小鳥」と呼びかけながら餌をやろうと水面に指を近づけると噛みついてきたりしたが、何年も前からおなかが膨れていて普通ではなかった。それでもとっても元気だった。お祭りでとった金魚は、なかなか長生きしないものだ。でも彼女はよく生きた。4歳だった孫が小学6年生になったのだから。
裏庭の樫の木の下に埋めたが、数日後、掘り返されて泥まみれのまま踏み石の上に放り出されているのを発見した。猫が掘り返したのかな、と思ったがすぐに違うと思った。このところ夕方から夜にかけて、しょっちゅうその辺を歩いているアライグマの仕業だ。何だか急にものすごく可哀そうになって、また丁寧に埋めなおした。しんみりしながらも、今夜はアジの刺身を作ろうなどと考えている。金魚もアジも同じ魚である。人間の感情とは、なんと自分勝手で馬鹿げたものなのだろう……。

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2018年6月27日 (水)

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すすき、よもぎ、八重のどくだみ

 

子どもたちが入学した時また就職した時、そして結婚した時、さぁ、頑張って!(口に出して言わなくても)と……世の母親はみなそんな気持ちになる。それとまったく同じ気持ちで、7月出版予定の最終原稿を編集者に送り、昨夜は「いっぱいのんで」寝に就いた。そして夢を見た。私の古着、ワンピース(花柄だった)とスカート(茶色のジャンバーだった)とブラウス(白かったかもしれない)を売る(実際には売ったことがないのに)夢だ。私はこんな着古したものは二束三文にしかならないだろうと思っている。しばらく待たされた後、店の主人が出てきて悪そうにこれは高い値段では引き取れないという。私は黙って頷く。最低の値段ですが、7万円で良いですか、というので私は仰天して、もちろんです、と答えたところで目が覚めた。原稿を出した夜に見る夢としてはまったく型どおりで変な言い方だが「上手い夢」である。残念なのは7万円を受け取る前に目が覚めたことだ。惜しい。

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2018年5月18日 (金)

プラド美術館展

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マドリッドに6年間住んだが、その間プラド美術館には(数えていないから分からないが)、もしかしたら100回どころではなく200回以上通ったかもしれない。日本からの来客を案内したり、友人と一緒に行ったり、もちろん一人でも行った。
東京でもさまざまな特別展で、時々プラドの所蔵絵画を見るけれど、今回はすべての展示物がプラド美術館の所蔵品。でも……プラド美術館展とはいっても、私が見たい絵はないだろうし、やめようかな、と思う気持ちと、懐かしいと思う気持ちがせめぎ合い、結局出かけてしまった。バルタサール・カルロスの肖像画の可愛らしさに惹かれたのかもしれない。ベラスケスは17世紀の天才絵画職人、私はなかでも『キリストの磔刑』が好きだ。当時にしては珍しい黒一色の背景。漆黒の闇に浮かび上るキリストの気高い姿を、いつも長いあいだ眺めていたものだ。もうひとつ、あまりの美しさについ立ち止まって見入ってしまう絵がスルバランの『静物』だった。斜めに差し込む光に照らし出された壺。台所の棚の上に並んだ粗末な壺の上に塵が降りつもる幽かな音まで聞こえてきそうだった。スルバランは高潔な「白」で有名だが、ベラスケスは「黒」(これは私がそう思うだけ)。
35年前のプラド美術館。大きな窓から燃えるようなオレンジ色の夕陽が射しこみ、名画を照らし出していた。眩い光に晒される美しい絵画……しばらくするとやっと係りの人がきて、重いカーテンを引いて夕陽を遮断する。すると部屋のなかは急に真っ暗になってどこか別世界に沈んでいくような感じがした。広い部屋にはだれもいない。夕暮れ時は特にそうだ。

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2018年5月 4日 (金)

私の野草園

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5月の薫風にさらさらと揺れる八重のどくだみ、すすき、よもぎ、ぎぼうし、ほととぎす、その下影に曼珠沙華の茶色く枯れた細い葉が地面を這っている。なずなやはこべ、ははこぐさなどはほとんど見なくなった。数年前まではウラシマソウやマムシグサもあったのだが……。八重のどくだみを大切にし…あまりに大切にしすぎたために、八重のどくだみばかりが育って増えてしまった。各種、少しずつ元気に平均して育てるのは、なかなか難しい。

因みにこの狭庭の奥には、妹のハーブ園がある。ミントやディル、マジュラム、レモンバーム、ローズマリーにバジル、その他いろいろ。私の趣味の野草は食べられないが、妹は料理に使うのを楽しみにハーブを育てている。妹はいつでも取っていいといってくれるので、今日は骨を外し皮を取った鰯を塩とオリーブオイルと妹のディルでさっぱりと漬けこんでみた。明日はお客さまなので、ワインのおつまみにしましょう!

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2018年4月 2日 (月)

オクターブ・ミルボー

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小説家オクターブ・ミルボーはクロード・モネの親友だった。そこで、ちょっと読んでみようという気になり、フランスの短編集のなかにあった『呪われた制服』を読んだ。ある貴族の御者の話だ。正直な若者が、代々受け継がれた古風な御者の制服を身に着けたとたん、過去の邪悪な御者たちと同じように堕落しはじめ、最後は雇い主の貴族を殺してしまう。なかなか象徴的である。さらにもう少し読んでみようと、かの有名な『責苦の庭』(1899年)を読んだ。ミルボーは「この殺戮と流血の文章を、宗教者と兵士と裁判官に捧げる。人間を訓育し、指揮し、統御しようとするものたちに」と書いている通り、反戦論者なのだ。しかし読み始めたはいいが、底知れない気味の悪さに途中から気分が悪くなってしまった。桜の花が散り始めた美しい春の午後、窓辺に座って『責苦の庭』を読むなどというのは……じつにアンバランスで酔狂としか言いようがない。あの時代のフランスで流行した一種の怪奇小説なのかもしれないが…。クララという残虐で卑猥な女が出てきて、中国の架空の町にある処刑場(そこでは無実の人が、筆舌に尽くしがたい残酷な拷問を受ける)の美しい庭園に案内する。庭園の花は処刑されたものの血と肉を栄養にして咲き誇る。その庭の描写がモネのジヴェルニーの睡蓮の庭園にそっくりだというのだ。『責苦の庭』は、澁澤龍彦が初訳しているらしいが、さもありなんである。

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2018年3月29日 (木)

板東ドイツ人俘虜収容所

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収容所跡

 

徳島では、モラエスゆかりの地ともうひとつ、第一次世界大戦時に板東にあったドイツ人俘虜収容所跡を見たいと思っていた。中国のチンタオで拘束されたドイツ人兵士(なかには市民もいたらしい)953人が、大正6年から9年にかけて板東の地に収容されていた。
大麻比古神社の拝殿の裏庭には、移設された小さなめがね橋があり、さらに奥に石積みの「小谷のドイツ橋」がある。これも橋にしては小さいものだが、めがね橋とともに捕虜になったドイツ兵が造ったという。板東ドイツ人俘虜収容所跡は、山に囲まれた田園のなか、小高い丘の下にあった。今は兵舎の土台だけが残り、丘の上には当時造られたここで死亡したドイツ兵の慰霊碑がたっている。当時、ドイツ兵と地元住民との交流が盛んで、演奏会や演劇などが頻繁に催された。そのひとつにベートーベンの第九交響曲の初演があった。ドイツ兵たちが日本で(アジアで)初めてベートーベンの第九をこの地、板東で全曲演奏したのだという。他にもバターやチーズ、ソーセージやパンなどの製法も伝えられ、収容所内には印刷所も設けられ多くの印刷物も作られた。それはひとえに所長の松江豊寿の人道的配慮があったからだ。実際、日本にあった他の収容所に比べて、破格の扱いだったようだ。
第2次世界大戦後、旧兵士ライボルトの一通の手紙から、再びドイツと大麻町の交流が始まり、昭和51年にはドイツ人の手によって、収容所の丘の上に日本各地で死亡した85人のドイツ兵の新しい慰霊碑がたてられた。
徳島から帰京して、板東ドイツ人俘虜収容所を舞台にした映画『バルトの楽園』を見た。バルトとは髭のこと。松江豊寿所長、そしてドイツ人俘虜と地元民の交流などが描かれる。

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