2018年2月 7日 (水)

つぬけの会

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銀座1丁目の「柴田悦子画廊」で催されている絵画展『つぬけの会』(今月11日まで)に出かけた。案内には「釣り好きで、東京藝術大学出身の5作家の作品展」とある。因みに「つぬけ」とは、釣り用語で、釣果を数えるのに1から9までは「ひとつ」「ここのつ」など「つ」がつくが、10になると「つ」がつかなくなるところから10尾目を「つぬけ」たというそうだ。こじんまりした画廊で、友人知人が集まり楽しげな雰囲気。でも時折り、たまたま通りがかったような何気ない感じで入ってきてひとうひとつをゆっくり眺めて出ていく人がいて、きっと絵画の目利き、玄人なんだな、と…。ちょっとパリの裏通りを思わせる雰囲気のある古い画廊で、5人のプロ作家の繊細な作品を見ることができてとても良かった。壁に魚が泳いでいる…あっちの壁には桜が咲いて、こっちの壁にはスペインの白壁の家…。

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2018年2月 4日 (日)

『ダフニスとクロエ』・ロンゴス

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パリ・オペラ座の天井画・シャガール画

 

『ダフニスとクロエ』を読んだ。ルーブルの美しい彫刻やラヴェルのバレエ音楽、そして三島由紀夫の『潮騒』や北杜夫の『神々の消えた土地』は、この物語を念頭に置いて創作されたものだということは知っていたが、『ダフニスとクロエ』そのものがどういう物語なのかは知らなかった。今回、ある方からシャガールのリトグラフ『ダフニスとクロエ』42枚を紹介され、読まなければ!という気持ちになった。舞台はエーゲ海のレスボス島。親に捨てられ山羊に育てられたダフニスと、同じ境遇で羊に育てられたクロエの恋物語だ。ふたりは、恋敵に邪魔されたり、海賊に襲われたり、戦争に巻き込まれたりとさまざまな困難に出会う。けれどもついに、ダフニスはミュティレーネーの大富豪ディオニューソファネースの息子で、クロエもまた富豪メガクレースの娘とわかり大団円となる。これはギリシャ語の小説で作者はロンゴス。3世紀ごろに書かれたという。
昨日の朝、『ダフニスとクロエ』のことを教えて下さった方から小さな荷物が届いた。なかには1冊の本、英語版『シャガール・色彩と音楽』が入っていた。彼女は私が尊敬する先輩のひとりで、シャガールを愛するとてもエレガントな女性だ。高校も大学も同窓で、ロンドンにも長い間住んでいらした、私の先を行く方である。

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2018年2月 1日 (木)

『雪国』・川端康成

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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった……小説『雪国』の冒頭である。季節は初冬、島村は越後湯沢温泉の芸者、駒子のもとへ向かう汽車のなかで葉子に出会う。通路をへだてた席で病気の青年の看病をする葉子の姿が、夕闇を背景に汽車のガラス窓に浮かび上がる。葉子の顔のただなかに野山のともし火がともる……『雪国』は若い頃に繰り返し読んだが、この年になってまた読むと、この小説のただならぬ魅力に惹きつけられる。物語は、葉子が燃えさかる繭蔵の高みから落ちたところで終わっている。気を失った葉子を胸に抱えて戻ろうとする駒子は、まるで自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見える。葉子は駒子の化身、もしくは精神、内面ともいえるもうひとりの駒子なのだ。作者自身も「駒子は実在するが葉子は実在しない。葉子は作者の空想である」といっている。青年は病死し、葉子は狂気に陥り、やがて島村と駒子の別れがくる。芸者駒子に対する島村の愛は憐憫である。駒子の自分への愛情を美しい徒労のように思う時、島村自身も空しさに襲われる。それでもなお駒子の生きようとする命が熱く迫ってくると、島村は、駒子を哀れみながら自らをも哀れむのだ。貧しく美しい者に対する憐憫はそのまま自己憐憫へとつながる。この小説の全編に降り積もる見えない観念的な雪。登場する人々も冷たく凍えた心を抱えながら温もりを求めている……東京も、今夜は予報通りの雪になるのだろうか。

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2018年1月25日 (木)

入道雲少年棒を持ちたがる・今井千穂子

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数日前の夕方、NHKニュースで「NHK全国俳句大会」のことをとりあげていた。約44000句の中から特選は50句ほど、その中から3句が大賞に選ばれる。そのひとつが今井千穂子さんの句「入道雲少年棒を持ちたがる」だった。降り注ぐ真夏の陽射しのなか、少年たちの明るい声が聞こえてくるようだ。今井千穂子さんは文芸誌関係の友人、すぐにSMSで「おめでとうございます!今、テレビ見ました。素晴らしい」と書いて出す。「ありがとうございます。こんなことになるとは…」と返事をいただいたが、翌日お電話があった。久しぶりにゆっくり話した。友人が選ばれるのはなんだか嬉しくて、私まで晴れがましい気分。本当に素晴らしい!2月10日午後3時からNHKのEテレで詳しく放送するようだ。

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2018年1月 9日 (火)

歌集『その名オアシス』

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年末に歌集が送られてきた。『その名オアシス』は志摩の歌人Yさんの歌集。歌集をいただくことも多く、いつも感心しながら頁を繰るのだが、この歌集はどこか特別のものがあり、とても心に沁みた。誠実な、何の媚もない人の心を芯から揺さぶるような歌。歌はどんなに技巧をこらしても、また、読む人をあっと言わせる手法を駆使しても、感動を呼び起こすことがなければ面白くないのだ。
彼女は西伊豆で生まれた。志摩に嫁ぎ、夫と茶房『オアシス』をひらいて懸命に働き、息子2人と娘を育てた。息子は商船学校を出て船乗りに、娘は結婚して海を越えてアメリカへ。彼女は健康で働けることが有難いと言い、食品を扱うプロとして、レトルト食品のまずさを嘆きペットボトルの茶に疑問を投げかける。彼女はひと言でいえば「海の人」だ。因みに父も兄も漁師、姑は海女だ。彼女の五感は海に向かい、心いっぱいに海が広がる。
霞立つ昼の峠に吹く風に海女の磯笛湿り帯びゐつ
音も無く樋を流るる夜の雨ああ訳もなく命いとしも
あとがきに「浜島に移り住んでより折り折り、磯笛峠に立って海を眺めながら故里に思いを馳せます。裸電球一個の雫の落ちて来る薄暗い田子隧道で「明日の高校入試には行かないで」と言った母……」
学歴のなくばひと世を身体張り働きて来しありがたきかな

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2017年12月29日 (金)

藝大『メサイア』

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クリスマス前に母をつれて上野の文化会館大ホールにヘンデルの『メサイア』を聴きにいった。もともと母と妹が母校の後輩が演奏するというので聴きにいくつもりだったところ、妹の都合が悪くなってしまったので急遽私が母を連れていくことになったのだ。そうはいっても、私にとっても『メサイア』は学生の頃、毎年、演奏に参加していた馴染みのある曲。文化会館大ホールも、大学時代、アメリカ演奏旅行の前の定演をここでやり、当時はこんな大きなホールで演奏するなんて、と思って緊張しつつドボルザークの『新世界』を吹いたけれど、今眺めてみると本当に小じんまりとしたホールで、しかもかなり年代物という感じさえする(日比谷公会堂ほどでもないが)。
入り口のホールもすっかりクリスマスの雰囲気で、大きなツリーが飾ってある。席は中央の中心近く、通路の後ろだったので人の頭が邪魔になることもなかった。プログラムには英語と日本語の歌詞(すべて聖書の言葉)が載っていたが、英語は古単語が多く日本語も昔の直訳。それでも、このメサイア公演は毎年やっていて今年で67回目だという。
『メサイア』は最初のシンフォニーから始まり、テノールが2曲続きコーラスになる。And the glory of the Lord shall be revealed, and all flesh shall see it together……が始まったとたん、あたかも眩しい光を当てられて目を覚まされたように陶然とする。なんて艶のあるきれいな声、なんて美しいの!若い人の声ってこんなにきれいだったかしら。彼らは声楽科の学生たちでプロの卵なのだから歌唱力もあるのだが、声そのものが清らかで甘いというか…。そういえば、私はいつの間にか周囲に大人の声(というか年配者の声)しか聞かなくなっていたのだと思った。学生の頃は仲間がみな若かったから、声の質が特別きれいだとは思わなかったのだが、これはまさしく若人の声!12番のFor unto us a Child is born, unto us a Son is given……も素晴らしく、もちろん44番のハレルヤコーラスも恍惚状態で聞いた。昔は、ハレルヤコーラスが始まると聴衆は全員起立したものだが、今はほとんど立つ人はいない。私の隣りに座っていた年配のご夫婦はさっと立ち上がったが、私は立とうとした母を押しとどめた。私の見える範囲では立ち上がった人は10人もいなかった。何にせよ、ソロの歌手も藝大フィルハーモニア管弦楽団も良かったが、合唱は想像を絶する素晴らしさだった。そしてトランペット!トランペッターは若い女性。キリストの復活で演奏されるトランペットのソロはとても難しいのだが、今回はそれも素晴らしかった。

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2017年12月20日 (水)

歌舞伎

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先日、国立劇場に歌舞伎を見に行った。吉右衛門、菊之助、雀右衛門などが登場。歌舞伎は小学生の頃から祖母に連れられてよく見に行った(ほとんど毎月)が、今思えば子どもの頃の印象は、舞台が華やかできれい、女性(しかもお姫さま)に見えるが実は男性らしいという不思議、それに幕あいで食べるお弁当の珍しさ、という程度だったが、さすがに高校生ともなると古典歌舞伎の面白さも理解し、そのうち新作歌舞伎にも興味を持った。20歳ごろに見た二月堂のお水取りを題材にした『韃靼』(松緑と梅幸が演じた)は素晴らしく、翌年、奈良までお水取りを見に行ってしまったくらいだ。近ごろは歌舞伎を見ることもまれだが、今回は歌舞伎好きのA子が誘ってくれたので出かける。吉右衛門は好きな役者だ。何十年も前に『一谷嫩軍記』で敦盛の身代わりに我が子を差し出した熊谷直実に扮した吉右衛門が、本当に涙を流すのを見た。その時、私は花道のそばに座っていた。流れる涙をそのままに花道を引き上げていく姿を見て、思わず胸がいっぱいになって私も泣いてしまった。今回は通し狂言『隅田春芸女容性』、それもまた、妻の弟が自分のために工面してくれた金を、そうとは知らずに殺して奪ってしまった由兵衛の苦悩が描かれるのだが、演じる吉右衛門は涙が止まらないという感じだった。私は本物の涙を流す歌舞伎役者は吉右衛門以外に見たことはない。もしかしたら見たことがないだけで他にもいるのかもしれないが、最初見た時、感動するとともに、正直言ってどこか違和感があった。私としては、歌舞伎は人形浄瑠璃と切り離して考えることができず、厚塗りの化粧や型にはまった仕草などが何となく人形のようで、演じる人はむしろ人間らしくない方が良いような気がしていた。科白や仕草だけで観客を泣かせるのが伝統芸能の歌舞伎だなどと思っていたのだ。そういうわけで、その時はあまりにも現代的すぎると感じてしまったのだが、登場人物が人間らしく見えない方が良いなどということは決してないのだ。やはり吉右衛門は名優である。

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2017年12月13日 (水)

加古川・「エデン」

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かつめしのエデン

 

加古川駅で妹が「かつめし」のパンフレットを見て、ランチはこれね、という。加古川の「かつめし」は、戦後に始まりだんだん名物となり、今は町の代表的な「食」になっているらしい。加古川は初めてなので、駅の案内所で、「かつめしレストラン」を聞く。駅から近いところにどこか?と聞くと「エデン」という老舗店を教えてくれた。数分歩いて目的の店を見つけたが、店は熱海にあるようなレトロな外観で、店内も同様。1時を過ぎているのに店はいっぱいで、ウエイトレスがひとりで忙しそうに走り回っている。カウンターのなかではふたり(私たちより少し若いくらい)の女性が、これまた忙しく立ち働いている。私たちは名物のカツレツの上にドミグラスソースがかかった「かつめし」と、同じようにドミグラスソースのかかった「ハンバーグスパゲティー」を注文して、白ワインを1杯ずつ飲んだ。いつもは昼酒はやらないことにしているのだが、今日は「石の宝殿」も見たし……(だから何だというのか、訳が分からないが)。ワインはなみなみとつがれ、まったく気分が良い。東京みたいにワイングラスの3分の1しか注いでくれないなんてことはない。私たちはワインを飲みながら、ゆっくりとたくさん食べて店を出た。私たちが最後の客だったらしく、出口でお金を払う時には、忙しく立ち働いていたウエイトレスが、すみっこで「かつめし」を食べているのが見えた。みなてきぱきとよく働くお店、という好ましい印象。「このお店は女性ばかりでやっていらっしゃるんですね、ごきょうだいですか」というと、「私と彼女は同級生なんですよ」とカウンターのなかにいた女性を見ながらいった。料金も安くて満足。親の代に始めた店を、娘さんが継いでいるのかしら……。加古川からJRで三ノ宮に、そして私鉄に乗り換えて新神戸へ。新神戸から新幹線で帰京した。

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2017年12月10日 (日)

石の宝殿

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11月に父の23回忌で神戸へ墓参に行った。有馬温泉に一泊した後、念願の「石の宝殿」を見に行く。妹が一緒に行ってくれるというので、三ノ宮でJRに乗り換えて宝殿駅へ向かう。「石の宝殿」とは「生石(おうしこ)神社」にある不思議な巨石だ。ここは古くから「鎮の石室(しずのいわや)」として風土記や万葉集にも見られ、松本清張の長編小説『火の路』にも登場する。
駅からタクシーで生石神社へ。駐車場で降りて神社に入って行くと、鳥居の下で、七五三の晴れ着を着た子どもたちや正装した大人たちとすれ違った。石段を登ると拝殿があり、拝殿の奥に巨大な岩が……神社のご神体だ。三方を切り立った岩の壁で囲まれ、水が溜まった側溝のようなものの上に巨石が鎮座している。岩には浅い切り込みが見られ、人工的に削り取られた部分が富士山のような形をしている。形や大きさなどが奈良の「益田岩船」に似ているとして、清張は『火の路』のなかで、明らかに未完成のこの二つの巨石「両者は偶然に完成にいたらなかったのではなく、必然的な同じ理由で、同時に完成が放棄されたのであろう」、そして「石の宝殿も益田岩船の近くに置かれるべく造られていたという可能性を否定できない」と、主人公の論文を借りて記している。
宝殿の周囲にそびえる岩の上へ登り、上から巨石を見下ろす。樹木が茂り石の破片が積もっている。目を上げれば遠く播磨灘が銀色に光り、瀬戸内の穏やかな風景が広がる。しかしながら、この山はどうやら採石場らしい。岩を削り取った後が生々しく露出している。……それにしても、妹はなかなか上がってこない。やっと登ってきた妹は「いつも歩くのがいやですぐにタクシーに乗るのに、こういう時だけはものすごく元気なのね」などという。確かにそれはいつもいわれることだ。遺跡に立つと神がかりのようにエネルギーが湧いてくる。
神社には古い石段があった。そこはあまりに急なので、近年になって登りやすいように駐車場の脇に登り口を作ったのだろう。私たちは駐車場から入ってきたのだが、古い石段は何とも趣があり、私たちも下りてみようということになった。手すりにつかまりながらそろそろと降り始めたが、下を見ると救急車が停まっているようだ。どうしたのだろうと思っていると、担架に乗せられた高齢の男性が救急隊員に付き添われて、額から血を流しながら車に運び入れられるのが見えた。多分、石段から落ちたのだろう。救急隊員の「奥さん、…」という声が聞こえたので夫婦で降りていたのかもしれない。救急車は出ていき、私たちもやっと下まで降りた。宝殿駅には昼食をとるところも見当たらなかったので、加古川駅まで行くことにしてタクシーを呼んだ。

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2017年12月 5日 (火)

学級日誌

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先日、6年ぶりに中学時代のクラス会があった。いつも会っている親しい友人、また6年ぶりの人もいたし10年も20年も会っていなかった人もいた。そのなかのひとりが当時の学級日誌を持ってきた。担任の先生は国語の教師だったので、ひとりひとりに文章を書かせ、ひとりひとりに丁寧に感想を書いてくださっている。先生はずいぶん前に鬼籍に入っている。
回覧された学級日誌を開くと、それぞれ幼い文章だが中学生らしい純な気持ちが伝わってくる。私の書いたものといえば、まるで記憶になかったのだが驚くべきことに、「私は作家になろうと思ったことがある」などと記している。漫画家の庄司陽子も同じクラスだが、漫画家になる、とは一言も書いていない。でも、彼女は中学時代から「私は漫画家になる」と語ってはいた。それにしても昔の中学生は今と違う。今の中学生より大人なのか幼いのか良くわからないが、「嗜好」がまるで違うことは確かだ。

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