2018年12月 7日 (金)

師走

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庭の柿の木も晩秋らしくなった

12月も何が何だかわからないうちに、もう1週間が過ぎてしまった。いつ頃からそれが始まったのかはっきりしないのだが、毎年、暮れには気に入った食品をネットで注文する習慣がついた。広島は尾道の蒲鉾、佐賀の嬉野や滋賀のお茶、岡山の酢、奈良の干し柿、小豆島のオリーブ、伊勢の海苔、秋田の味噌、千葉は八街のピーナッツなど。他にも北海道や新潟のものもある。旅先で見つけた名産品や調味料、それに肉や魚、野菜や果物などの食材、友人から頂いたり勧められたりした品(生産者が友人の知り合いだとなお良い)など、美味しくてまた食べたいと思う、そして健康に害のない安全な食品を取り寄せているうちに、すっかり癖になってしまった。今年もクリスマスや年末年始の家族の出入り、来客や訪問客などもだいたい目途がついたので、ひと働きしなければ。

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2018年11月26日 (月)

包丁

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ホトトギス

写真とは関係ないのだが、私の気晴らしは料理をつくること。若い頃から、いわゆる「おさんどん」は全く苦にならない。料理の味は「素材」と「包丁」の良し悪しで決まると思っているので、私はけっこう「素材」と「包丁」には拘る……だからといって、失敗しなかったということはないのだが……。
数日前、二子玉川の高島屋で包丁を買った、もうすぐお正月だし……と。ここ10年ぐらい、京都の「有次」を使っていたのだが、研ぎに出すのが大変。そこで東京、亀戸の「吉實」を1本買った。東京なら研いでもらうのも容易いだろう。「有次」に比べると少し重いが、握った感じが手にしっくりしてとても良い。昔、日本橋の「木屋」を使っていたがそれはもっと重かった。それより前はドイツの「ゾーリンゲン」を使っていたが、それはさらに重かった。確かに、ある一定の重みがないときれいに切れないのだが、年とともにやはり軽い包丁が重宝になってきた。今日はアジを三枚におろしたが素晴らしい切れ味。切れない包丁でさばくと骨に身がどうしても残ってしまうのだが、今日はほとんど身を無駄にしないですんだ。

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2018年11月25日 (日)

『私が愛する世界』・ソニア・ソトマイヨール・2

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昨日、24日の朝日新聞の朝刊、読書欄に『私が愛する世界』・ソニア・ソトマイヨールの書評が載った。

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2018年11月16日 (金)

『私が愛する世界』・ソニア・ソトマイヨール

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原書と翻訳書

ニューヨークに着いた日、JFK空港からタクシーに乗ったが、道すがら「コープシティー」と書かれた案内板を見た。「コープシティー」はこのあたりから近いのかしら、と考え、そこで育ったソニア・ソトマイヨールのことを思った。ソニアは現在60歳代前半、アメリカの最高裁判事だ(最高裁判事は終身の職)。ヒスパニック系(プエルトリコ)のアメリカ人女性で、多くの困難を乗り切って最高裁判事にまで上り詰めた「奇跡の人」である。彼女の半生をつづった『私が愛する世界』はアメリカでベストセラーになり、子ども用の絵本にもなっている。多くの国で翻訳出版されているのに、なぜか今まで日本では訳出されていなかった。しかし今年9月に、ようやく日本語の翻訳本が出版された。ソニア・ソトマイヨールは8歳で小児糖尿病を発症。生まれ育った地域は麻薬とアルコールに汚染されていた。彼女の父の死因はアルコール中毒、母は子どもを育てるために看護師として懸命に働いた。ソニアは幼いころから自立を余儀なくされ、自らインスリンを打つ決心をする。彼女は当時の差別是正措置の影響もありアイビーリーグの名門プリンストン大学に入学、そしてそこを首席で卒業してイェールの法科大学院に進んだ。卒業後は、検事局、法律事務所、連邦地裁判事、控訴裁判所判事を経て2009年に最高裁判事となった。この本を読んでいると、ソニアがいかに強い意志を持って学問に励んだか、いかに素晴らしい親族や友人に恵まれたか、そしてまた彼女の持ち前の楽天主義が、幸福な人生を歩むための基本だったということがわかる。彼女の言葉が、強さばかりではなく優しさを伴って響いてくる。「内にとじこもって壁を作るのではなく、外に向かって橋をかけなさい」

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2018年11月12日 (月)

ニューヨーク*NYフィルのコンサートとブロードウェイ

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リンカーンセンターのコンサート会場

ニューヨークフィルのコンサートに行った。会場のリンカーンセンターはオペラハウスやジュリアード音楽院などと同じ敷地内にある。開演は午後2時。指揮は、もとアムステルダム・コンセルトヘボウのコンマスだったヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。演目はルイス・アンダーソンの『Agamemnon・アガメムノン』(現代音楽)と、ストラヴィンスキーのバイオリンコンチェルト、同じくストラヴィンスキーの『Symphonies of Wind Instruments・風の楽器のシンフォニー』、それにドビュッシーの『La Mer・海』だった。私は風邪薬のせいでぼんやりしていたためか、どうやら「海」もぼんやりと霞んで穏やかな夕凪だったよう……。
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ブロードウェイ『キンキーブーツ』

ブロードウェイで子どもたちも一緒に『キンキーブーツ』を見た。古いイギリス風のシアター。これがブロードウェイね、ロンドンのウエストエンドの雰囲気とはちょっと違う、などとあたりを観察する。最初は、あまり子ども向きではない、女装した男性のショーかしらと思ったが、最後は良かった。主人公は美しい女装の男性とチャーリーという靴工場の経営者だったが、さすがにふたりとも抜群の歌唱力だった。

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ワシントン・スクエアのジャズバー

ニューヨークではジャズも聞いた。小さなジャズバーだったが、素晴らしい演奏だった。今回、ひとつ残念だったのは、是非見たいと思っていたゴヤの傑作『アルバ公爵夫人像』を見られなかったことだ。黒服に身をつつんだアルバ公爵夫人の指さす足元に、Solo Goyaと書かれていることで有名な絵だ。アメリカ・ヒスパニック・ソサエティは町の外れにあり、やっとたどり着いたら建物は改築中で美術館も閉まっており、お目当ての絵は世界各国をまわっているとか……本当にがっかりした。
帰国する前日の夕方、庭で餌をさがしているリスをゆっくりと眺めた。芝生のなかに見上げるほどに高い樹木が3本ほど立っていて、根元にはきのこが生えている。その木の幹をするすると下りてくる黒い毛なみの野リス、尻尾のまわりが白い大きな薄茶色のリス、それに芝生のなかを機敏に動き回るシマリスなどがかわるがわるやってくる。雌鹿がのっそりと庭を横切って行き、日暮れ時には鳥が鳴きさわぎ、やがて鳥も眠りに就いて静かな夜がくる。

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2018年11月11日 (日)

ニューヨーク*ニューオーリンズ旅行

朝、熱を測ると35度8分、どうやらやっと平熱に戻ったようだ。ニューアーク空港からニューオーリンズへ向かう。飛行機が出発する20分前にほとんど全員が着席し、出発直前にはすべての人々が窓のシャッターを下ろす。真昼だというのに機内は真っ暗だ。これはアメリカの習慣なのか…不思議である。飛行機のなかの「しきたり」も国によって違う。たとえばスペインでは目的地に着陸すると機内に必ず大きな拍手が湧き起こった。これもまた不思議である。飛行機は午後2時20分にニューオーリンズに到着。3時間のフライトだったが1時間の時差がある。
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蒸気船から見たジャクソン・スクエア方面

長いあいだ心のなかだけに流れていたミシシッピー川をはじめて見た。1812年、蒸気船ニューオーリンズ号がここに到着し、ミシシッピーの水運を切り開くきっかけになった、と案内板にある。ジャクソン・スクエアに建つ北米最古の教会といわれるセントルイス聖堂近くの船着場から、蒸気船ナッチェズ号に乗ってミシシッピー川をさかのぼる。沿岸には工場や倉庫が並び、川の水は茶色く濁っているが、その広大さは比類ない。私にとってミシシッピー川といえば、やはり少年少女のための冒険小説、マーク・トウェインの『トム・ソーヤ-の冒険』や『ハックルベリー=フィンの冒険』だ。トム・ソーヤ-もハックルベリー=フィンもミシシッピー川添いの村で生まれた子どもで、物語の舞台もほとんどがそこだ。まさに南部の奴隷解放の時代……川風に吹かれながらさまざまなことを思う。

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蒸気船ナッチェズ号

マーク・トウェインの古典的な冒険物語も素敵だが、ニューオーリンズはジョン・グリシャムの小説『ペリカン文書』の舞台でもある。ニューオーリンズの女子大学生が主人公。ルイジアナ州の湿地帯に棲息するペリカン保護に尽力した人々が次々に殺されるが、黒幕はそこに石油施設を作りたい人々だった。飛行機の上から見おろすと広大な湿地帯が見えた。あそこにペリカンが棲息しているのか……。ペリカンといえば、オーストラリアにもいっぱいいる。シドニーの魚市場に隣接する船着場に群れをなしてやってきて餌をあさっていた。大きいが人懐こくて可愛い鳥である。

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結婚式の行列

フレンチ・クオーターのレストランに入って食事を始めようとした時、突然外が騒がしくなったかと思うと、店の人たちも食事中の客たちも外へ飛び出していった。何ごとかとみれば、結婚式の行列だった。花嫁花婿を先頭に、先導する人たちとブラスバンド、その後に式の参列者が老いも若きも踊りながら白いハンカチを振って街路を練り歩いてくる。鳴り物入りの陽気な一団が近づいてくると、沿道の人たちは大きな拍手で祝福する。
ニューオーリンズでは咳に悩まされながらも、蒸気船に乗ったり昆虫博物館を見たり、Voodoo人形やタバスコなどのお土産を見ながら町を歩いたりして数日楽しんだ。ニューオーリンズ空港からニューヨークに戻ったのは夜の10時半。ニューヨークは霧。

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2018年11月 8日 (木)

ニューヨーク*自由の女神とエンパイア・ステート・ビル

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自由の女神像

グランドセントラル駅から42番のバスに乗り、ライブラリーの前を通ってEast 42th streetをハドソン川に向かって進む。トラック、工事の車、イエローキャブ、タクシーウーバ、ごみ収集車などがクラクションを鳴らして行きかうなかを、消防車やパトカーがけたたましいサイレンを響かせながら疾走する。しかも二重駐車やバスレーンに停めている車がそこらじゅうに溢れている。やっと桟橋について船に乗り込んだ。乗客は団体ばかりだが、日本人は見当たらない。陽射しが強くて甲板に座っていられず、また、風に吹かれているうちに喉が痛くなってきた。やがて「自由の女神」が見えてきた。移民にとっては希望の象徴だったかもしれないが、古くから北米大陸に暮らしていた原住民にとっては……言わずもがなである。女神のそばを過ぎ、ニューヨークで一番古いブルックリンブリッジの下を潜って、1時間半でもとの桟橋に着いた。

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エンパイア・ステート・ビル 86階から

船を降りてエンパイア・ステート・ビルに向かう。1931年に竣工した102階建てのビルで、パリのエッフェル塔と同じように観光客であふれている。まず80階で降りてニューヨークの街を見下ろす。その後86階へ。日本で高層ビルが建てられ始めたのは私が中学生の頃、建設途中の霞が関ビルをはじめて見た時、その高さに驚いて見上げたものだった。しかし、いくら地震のない国だといっても102階の高層ビルを今から90年近く前に建てたなんて、やっぱりすごい。それにしても人はなぜ、高いところに上りたがるのだろう……。自由の女神、ブルックリンブリッジ、そしてエンパイア・ステート・ビル、まったくのお上りさんコースを堪能した。

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2018年11月 7日 (水)

ニューヨーク*ワシントン・スクエア

グランドセントラル駅から地下鉄でワシントン・スクエアへ向かった。ヘンリー・ジェイムズの名作『ワシントン・スクエア』に描かれた場所だ。でも、小説の舞台になったのは19世紀半ばのワシントン・スクエア、当時はニューヨークの高級住宅街だったが、150年以上を経た今はニューヨークの下町、貧しい外国人や労働者、そしてホームレスがたむろする治安もあまりよくない地域になってしまった。ワシントン・スクエアは凱旋門のあるきれいな公園だが、狭いし人が多くて……広大な自然のなかにあるセントラル・パークとは趣が違う。

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ワシントン・スクエア

小説『ワシントン・スクエア』の主人公は、著名な医師の娘キャサリン。能力も容姿も平凡で、父を尊敬しているが父からは愛されない娘だった。そこに財産目当ての男が近づいてくる。父親はその男と結婚するのなら財産はいっさい娘にはやらないと断言する。男は去っていくが、父親の死後またやってきて求婚する。しかしキャサリンは受け入れない。単純なストーリーだが、それぞれの立場にある人々の心の機微が上手く描かれていて素晴らしい。もう10年以上前になるが、イギリスの美しい海辺の町ライにあるヘンリー・ジェイムズの家に行き、庭を散策した時のことを思い出した。

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アラン・ポーの小さな記念館

ワシントン・スクエアのあたりには、19世紀から20世紀にかけて小説家や詩人が住んでいた。ウエスト・サード・ストリートにはエドガー・アラン・ポーが1845年から1年ほど住んだ。今は小さな記念館になっていて、ポーの写真や自筆の手紙、また作品の年表などが並んでいる。建物は1835年に建てられたが、2001年の発掘調査の際に発見された、当時の建物のレンガや陶器やガラス器などもガラスケースに収まっている。ポーといえば、『大鴉』や『アナベル・リー』などの詩や『黒猫』や『アッシャー家の崩壊』などの怪奇小説で有名だ。

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エマ・ラザラスの家

ヘンリー・ジェイムズが生まれたというワシントン・プレイス21番地は現在マンションになっているが、あぁ、ここに住んでいたのね……と感慨深く建物を見上げる。そこから少し歩くと、【かつてこの家に『トム・ソーヤーの冒険』を書いたマーク・トウェインが住んでいた】と記された金属板がはまっている家にたどり着く。レンガ作りの古い建物だ。またその並びには、19世紀の詩人エマ・ラザラス(彼女の詩は「自由の女神」に刻まれている)が暮らしていた家がある。

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2018年11月 2日 (金)

ニューヨーク*ニューヨーク公共図書館

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『クマのプーさん』・プーとその仲間

グランドセントラル駅から歩いて10分ほどでニューヨーク公共図書館に着く。daughter-in-lawが案内してくれた。売店で絵葉書を眺めていたら古いクマのぬいぐるみの写真葉書があり、それを見て突然思い出した。そうだ、プーさんのぬいぐるみが、たしかニューヨーク公共図書館にあった!それがここなのだ!! もう何十年も前だが、モデルになったクマのぬいぐるみがニューヨークの公共図書館に所蔵されていることを知り、そのぬいぐるみを主人公に、童話を書いたことがあった。 ああ良かった見損なうところだった、あぶないあぶない、と心のなかで呟きながら、地下に降りていく。A.A.ミルンが息子のクリストファー・ロビンのテディ・ベアをモデルにして書いた『Winnie-the-Pooh』。日本では石井桃子の訳『クマのプーさん』で有名になった。ガラスケースに収まったプー、そしてイーヨー、カンガ、トラー(石井訳)、コブタ(石井訳)も並んでいる。古びて色あせたぬいぐるみではあったが、これが本物なのね。たしかミルンが息子のためにハロッズで買ったのではなかったかしら。でも、とにかく見ることができて良かった!

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2018年11月 1日 (木)

ニューヨーク*ニューヨーク近代美術館

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モネの『睡蓮』

ニューヨーク近代美術館、通称「MoMA」に行った。グランドセントラル駅のホームはその薄暗さと煤けた柱などから、私が子ども時代の上野駅のようだと感じたが、駅構内に出ると一変して美しく荘厳な歴史的建造物の駅舎に圧倒される。アメリカ人の女性が近づいてきて、カメラのシャッターを押しましょうか、といってくれる。明るい感じの良いアメリカの婦人だった。スマホのカメラはあまり得意ではなかったみたいだが……。

ニューヨーク近代美術館まで、かの有名なタクシー、イエローキャブに乗った。絶え間なくクラクションを鳴らしながら、車線をつねに変えて疾走するタクシー。騒音は摩天楼に反響してますます大きく聞こえる。まるでアメリカ映画に出てくるカーチェイスもどき、一度乗ればもういい。「MoMA」には、よく知られた絵画が多くある。モネの『睡蓮』や『アガパンサス』、ピカソの『アヴィニォンの娘』、ルソーの『夢』、ゴッホの『星月夜』など、またポロック、マグリート、ミロ、マティス、ケルヒナー、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が並んでいる。絵画を堪能して洗面所に行き、手を洗おうと手を出したが自動で水が出ないので、メガネを外して書いてあることを読もうとしたら、隣にいた女性が、プッシュ、プッシュと教えてくれた。アメリカ人は本当に親切である。

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