2018年8月21日 (火)

墓参

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お盆も終わってしまったが、墓地にはちらほらと人影が見えた。墓地の入り口の桜の森がざわめき、墓石のあいだに続くあおあおとした糸杉の並木が天を指している。大きな町のはずれにある公園墓地は赤とんぼが舞い叢で虫が鳴いていた。日差しはまだ強いけれど空には淡いうろこ雲が浮いて、もう秋の気配だ。
家族の墓に花を手向け線香をあげ、墓石に水をかけて手を合わせる。…どうぞ安らかに…と心のなかでいったあと、子どもたちや孫たちが健康で幸せでありますようにお守りください…と続く。
帰りの車のなかの会話。
W:あなた、ずいぶん長いこと手を合わせていたけど、何を祈っていたの?
H:……
W:最初は心を鎮めて、どうぞ安らかに、という気持ちだけど、次にどうしても子どもたちや孫たちをよろしくなんてお願いしちゃうでしょ。ちょっとおかしいわね。
H:まったくそうなんだよ。祖先はある一定の時間が過ぎると神さまになるんだね。
W:でもそれってずい分勝手な思い込みよね。どうしてそんな気持ちになるのかしら。
H:……まぁまぁ、いいんじゃないの。堅苦しく考えなくても。
W:人間て、心が弱いのか強欲なのか……祖先だってそんなに色々お願いされても、迷惑じゃないかしら。
H:……

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2018年8月13日 (月)

箱根の水族館

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ピラニア

 

今年の夏は孫たちのうち、ふたりはアメリカでひとりは受験で来られず、小学校2年生の孫娘だけがやってきた。昨日は、芦ノ湖で海賊船に乗ろうねと約束していたが朝から大雨で、やむなく12時半に予約していた山のホテルに直接行ってランチをとる。雨脚は激しく降りやまず、仕方なくプリンスホテルにある箱根園のなかの水族館に向かった。思ったよりも魚の種類も多く、チンアナゴやクラゲ、タツノオトシゴかしらと思えばヘコアユ、といった具合で楽しんだが、何といってもピラニアはいつ見ても興味深い。子どもの頃、なにかの本で、アマゾン川にはピラニアという魚が群れをなし、もし間違って人間が川に落ちようものなら、一瞬のうちに食べられて骨だけになってしまう、というのを読んで、その時想像した衝撃的な場面が脳裏に焼きつき、いまだにピラニアを見ると一瞬で骨だけになってしまう人間(というか自分)の姿が浮かんでくるのだ。孫の手をひいてピラニアの水槽の前にきた時、怖がるかな、と思いつつその話をした。孫は黙って聞いていたが、不思議そうな顔をして、ピラニアってお洋服も食べるの?と聞いてきたので、想定外の質問だったために答えに詰まった。……夕方4時に家に戻るまで雨は激しく降り続いた。

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2018年8月 5日 (日)

ヤマトシジミ

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私の狭庭に舞うヤマトシジミ

 

「猫の額」どころか「雀の額」ほどの私の狭庭も、夏真っ盛りである。熱海の山中で生まれた野草の根が地表近くで絡み合っている。繁茂する夏草や生まれ出る小さな昆虫、それらのなかに、毎年、前の年とは違う種類のものを発見して興味しんしんなのだが、今年はどこから飛んできたのか赤紫蘇や山椒の葉が見える。そして、何といってもしばらく目にしていなかったシジミ蝶がたくさん舞っている。子どもの頃はシジミ蝶がいっぱいいた。懐かしくも可愛らしいシジミ蝶……シジミ貝に形や大きさが似ているからそう呼ばれるのだろう。
シジミ貝は、日本では淡水にすむマシジミ、宍道湖のような淡水と海水が混じり合うところにすむヤマトシジミ、琵琶湖のセタシジミというものがあるらしいが、我々が味噌汁などにして食するもののほとんどは真っ黒なヤマトシジミだ。私の狭庭に舞うシジミ蝶もヤマトシジミという名称。ところが貝の黒光りするヤマトシジミとは異なり、蝶のヤマトシジミは淡い銀色に黒い斑点がある。飛び方もちらちらふわふわとおとなしくてどこか儚い。

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2018年8月 2日 (木)

「大田平和のつどい」日吉地下壕見学会

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旧帝国海軍司令部跡

 

「大田平和のつどい」日吉地下壕見学会に参加した。慶応大学の敷地内にある、旧帝国海軍の連合艦隊司令部の跡だ。2000年頃、慶応大学が地下壕を整備してから、見学できるようになったという。「日吉台地下壕保存の会」の方たちが、説明してくれた。戦争末期の1年間、ここから司令が出され、それらは忠実に遂行された。最後の1年で、兵士は言うまでもなく空襲や原爆で200万人もの日本人が命を落とした。広島で14万人、東京下町で10万人、沖縄で9万4千人、長崎で7万3千人……若い人たち、子どもや老人、女性も犠牲になった。もちろん日本ばかりではない。世界中で人が殺された。人間の本質とは何と愚かで邪悪なものなのだろう。外の気温と20度の差がある地下壕は、真っ暗で静まりかえり小さな灯りに透かして見れば、うっすらと霧がたちこめている。説明を聞き、懐中電灯で資料を読んでいるうちに、言いようのない悲しみに襲われた。
24年ほど前、市ヶ谷の旧陸軍士官学校(当時は陸上自衛隊)の建物が解体されると聞いて、地下壕の見学を申し込んだことがある。建物は三島由紀夫がバルコニーで演説し、その後、割腹自殺したことでも有名だった。建物は現在、記念館として残されているようだが、地下壕はもう見ることはできない。地下壕はとても保存状態が良く、大きな電気釜の跡が残っていたのが印象的だった。戦争中に電気釜でご飯を炊いていたなんて…地下だから薪を使うわけにもいかなかったのだろうが…。平成6年(1994年)秋、建物は解体された。
8月には戦争遺跡をひとつは見るべきだ思っている。なかなか機会がないのだが、今年は見ることができた。

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2018年7月26日 (木)

罪と罰

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誰かが死刑になると、必ず死刑囚に同情する意見が報道される(もちろん冤罪の場合はまったく別の問題)。そういう意見は、一見、冷静に見えるが、私にはかなり感情的に聞こえる。同情するのは勝手だが、何の落ち度もなく殺された被害者の無念や遺族たちの苦しみを本当に理解していれば、軽はずみに(しかも公に)口にできることではない。第三者は何でもいえるけれど、遺族は永遠に癒されることはないのだ。それに、罪を犯したことがはっきりしているのなら、それなりの罰を受けるのも当たり前だし、また、この世には、死んで(命にかえて)お詫びをしなくてはならないほどの罪も、残念ながらあるのではないだろうか……。

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2018年7月24日 (火)

猛暑

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今日も暑い。報道機関は一日中、「猛暑」、「熱中症」、「こまめに水分」(この場合、「こまめ」という言葉を使うのは適当ではないが、まぁ流行語みたいになってしまったので仕方がない)、と同じ単語をくり返す。
スペインのマドリッドでは、夏は40度などいつものことだった。42度や43度もあった。アスファルトの道を歩く時は、転んだらやけどをするから気をつけなさいといわれた。まるで熱い鉄板の上を歩いているようだった。夏の午後は、町にはほとんど人は歩いていない。よくいわれるようにシエスタ(昼寝)をしているわけではないが、朝は早くから出勤して1時過ぎまで働き、人々は自宅に帰ってゆっくり昼食をとるのだ。真夏になると、朝の8時ぐらいから午後3時ぐらいまで軽食をとりながら働き、その後帰宅してしまう。マドリッドのピソ(マンション)に住んでいるスペイン人たちは郊外にチャレ(別宅)を持っている人が多く、夏はそこで過ごすので、町は閑散としている。
それなのに、冬は猛烈に寒い。氷点下5度などというのも珍しくない。シベーレス広場の噴水が氷って大きなつららになっていたりする。毛皮のコートを着ていても信号で足止めされるとあまりに寒くて足踏みせずにいられない。子どもたちは手袋とマフラーはいうに及ばず耳あてをしないと外に出られない。まぁ、これも35年前のことだから今はどうなのか分からないのだが。
問題なのはどうしてこのように急激に気候が変化するのか、ということだ。地球上のさまざまなバランスが崩れている。二酸化炭素による地球温暖化だけが原因なのだろうか……。

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2018年7月19日 (木)

夏みかん

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久しぶりに、というのもおかしいが、実際、久しぶりに商店街を抜けて駅まで行った。駅の踏切の手前で、甥に似た後姿を発見して、もしやと思って近くに寄ってちらと見たが、抱いていたのは違う女の子だったので、あら、甥ではなかったわ、と思った。背の高い若いお父さんが大きなスーパーの袋を両手に持って、抱っこひもで可愛い女の子を抱っこして電車が通り過ぎるのを待っている。今はお父さんが子どもを抱いてスーパーで買い物をする時代なのだ。それを思えば、一部の戦前の父親などほとんど犯罪者のよう……。とにかく威張っている、気に入らなければ家庭内で暴れる、子どものことはすべて母親の責任だとしてやりたい放題、お前たちを養っているのだ、文句はあるか、というような調子。確かに今より日本の社会も厳しかったかもしれないが……などと考えながら用事を済ませて、帰途、いつもの坂道にさしかかる。暑いので日傘をさしてゆっくり上っていく。坂の真ん中あたりに大きな夏みかんの木があり、いつもそこで一息つくことにしている。かなりの古木で、黄色い実をたくさんつけて緑の葉を茂らせ、道にまでせり出して影を作っているのだ。しかし……ない。あるはずの夏みかんの木がない。その場所をかなり過ぎてから、夏みかんの木がなくなっていることに気づいた。振り返って見渡せば、そこはすっかり更地になっていた。

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2018年7月13日 (金)

『クロード・モネ』ロス・キング著・長井那智子訳

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http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=862&st=4

私は子どものころから書くことが好きだった。日記も小さい時から書いていたし、時々お話を作って書きとめたりもしていた。手紙やはがきを書くのも好きで、就学前に祖父母からきた全部ひらがなで書かれた「お返事はがき」も大切にしまってある。私にとって、そうして書いたものはすべてが「秘密」だった。誰にも見せたくない……日記は暗号みたいになっているページもあったし、手紙は出さない手紙のほうがもっと大事だった。ジェーン・オースティンは、自分の書いているものを見られたくないので、誰かが入ってきたことが分かるように、部屋のドアの軋みを直させなかったという。その気持ちはよく理解できる。そんな内気な私だったのに……おかしなものだ。

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2018年7月11日 (水)

映画『えんぴつ泥棒』

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孫たちが通うアメリカの学校で、夏休みに入る前の日(最後の授業が終わった日)、親子で映画を見るイベントがあったらしい。映画は広い芝生の校庭に設えられたスクリーンで見るようだが、ホットドッグやハンバーガー、タコスなどのフードトラックもくるという。日本よりも日が暮れるのが遅いので、軽い夕食をとりながらのんびりと待っているのだろう。
そういえば……私が小学校低学年の頃(1950年代後半)にも、夏休みの始めに学校の校庭で映画鑑賞会があった。自由参加で、確か数回しか開催されなかったと記憶しているが、『えんぴつ泥棒』とういうモノクロ映画がとても印象に残っている。当時、映画やラジオドラマ、童話などによくみられた「学級もの」だった。口数の少ない賢そうな少女が主人公。彼女がクラスの仲間が捨てた短いえんぴつを拾っては持ち帰るので、みな、彼女を奇異の目で見るようになる。そんなある時、男の子の色鉛筆の箱がなくなり、女の子に疑いがかかる。事実を確かめるために担任教師が女の子の家を訪ねると、女の子は短くなったえんぴつで人形を作っていたのだという。ある時、物乞いをする親の傍でえんぴつで作った人形で遊んでいる子どもをみて、そんな子どもたちに贈ろうと人形を作っていたのだと。なくなった色鉛筆はすぐに見つかり、クラス全員が恵まれない子どもたちのために人形を作ることになる、という「思いやり教育」の映画だった。私は子どもなりに(子どもだから)とても感動した。体育館の外壁に張られたスクリーンには、強烈な光に集まってくるたくさんの蛾や羽虫や細かい昆虫の影が行きかい、小さな弟や妹たちは校庭の砂で山を作ったりして遊んでいた。映画が終わると、母に手を引かれて家に戻り、すぐに眠った。あの当時の何ともいえない暗闇の神秘が、子ども心に映画という印象的な夢を残したのかもしれない。

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2018年7月 7日 (土)

フルート・アンサンブル

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先週末、友人のフルート・アンサンブルを聞きに行った。音もそろっていて、皆、楽しそうに吹いていて、とても良い演奏会だった。そして友人の先生が青木明先生にも教えを受けた方だということがわかりとても懐かしくなった。青木先生はフルート・アンサンブルに力を入れていらした。
私が青木明先生のもとへ通い始めたのは16歳の時だった。それ以前にも別の先生にフルートを教えていただいていたが、高校生になり本格的に音大をめざそうと高校の音楽の先生に相談したところ、青木先生を紹介して下さった。
青木先生のお宅に母と一緒に初めて伺った時、先生はまだお若く、ご子息はまだ本当に小さくて、お嬢さまは生まれていなかった。先生は初対面の私をご覧になって、「あなたはフルートに向いていますよ」とおっしゃった。私も母も、もちろん喜んだ。きっとひと目で私の才能を見抜かれたのだわ、などとは全然思わなかったが、そういって勇気づけてくださるのだわ、と思った。でも本当はそうではなく、先生は私の口の形と歯並びを見てそういわれたのだった。フルートに適した形の唇と歯並び。それは残念ながら、美しい女性のおちょぼ口とは正反対の形だったのだが……。
フルート・アンサンブルの当日は、モーツアルトの『アンダンテ』を演奏した方がいて、それも懐かしかった。高校生の時に舞台で演奏した曲だ。譜面上は簡単で地味だが感情を表現しにくい曲で、そういう意味でとても難しい。『アンダンテ』には曲の最後にカデンツァがある。青木先生は、自分で作ってごらんなさい、とおっしゃってそれは宿題になった。私は、何とかそれらしく作って(ランパルやニコレのカデンツァを聞いて、なるべく同じようにならないようにして)次のレッスンでおそるおそる吹いたら、「良いねー」と褒めてくださったことを昨日のことのように思い出した。月日の経つのは本当に早い。まさしく「光陰矢の如し」だ。

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