2019年2月12日 (火)

A型インフルエンザ

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A型インフルエンザにかかって40度以上の高熱を出したので、多分、脳細胞がいっぱい死んだだろう。インフルエンザにかかるなんて精神がたるんでいるからじゃないの、などと言っていた私だが、私も精神がたるんだらしい。先月末のある夕方6時頃、何だか熱っぽいようなので測ってみると37度3分。7時半には37度6分。その30分後には38度とみるみるうちに上り、11時には38度6分、なるべく薬は飲まないようにしている私だがルルを飲んで寝る。翌朝は38度、午後には39度4分、そして夕方にはついに40度2分。風邪をひいただけでは病院に行かない主義の私も、さすがに家族に支えられて車に乗り這うようにして病院に行った。すぐにA型インフルエンザと判明。ゾフルーザという薬を2錠もらうが、それは「A型またはB型インフルエンザウィルス感染症の薬で、インフルエンザウイルス由来の酵素を阻害しその増殖を抑える」ものだという。見たところ「細おもての真っ白な顔の薬」で、何となく頼りなさそうな風情だが、医師に言われた通りそれを2錠飲んで寝た。一緒にもらったカロナールという解熱剤も服用する。翌日は一日中38度前後の熱でうとうとしていたが、その翌朝には急に36度台に熱がひいた。ゾフルーザを飲むと1日で熱がひきますからね、といった医師の言葉通り。でも胃のあたりが苦しく、咳がひどくて食欲がまったくなく身体がだるくて起き上がれない。しかしながらゾフルーザという薬は見かけよりもよく効いた。もし40度以上の熱が数日続いたりすれば、脳細胞がもっといっぱい死んでどうにかなってしまったかもしれない。それでも私は数日間、高熱に浮かされて白っぽい別世界に入っていき、灼熱の海を浮き沈みした。芭蕉は旅先で病に倒れ「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」という美しい句を残したが、私の頭のなかでは冬だというのに夜じゅう真夏のサンバが鳴りやまなかった。

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2019年1月25日 (金)

日影茶屋

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先日、用事があって葉山に行き、日影茶屋で昼食をとった。日影茶屋といえば、神近市子が嫉妬に駆られて大杉栄を刃物で刺した「日陰茶屋事件」が有名だ。大杉栄はアナキスト(無政府主義者)で自由恋愛論者だったが、あまりにも時代や社会背景が今と異なり、私たち現代人と(というか私と)感覚が違い過ぎて、その思想や心持ちを想像することはなかなか難しい。それでも、「嫉妬に駆られて」は、まぁ良いだろう。関東大震災後に、大杉栄と伊藤野枝が殺害された(6歳の子どもも巻き添えになった)「甘粕事件」となると、もうただ恐ろしいだけだ。信長ではないが「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」なのか……何という凄まじいまでの暴力なのだろう。結局「甘粕事件」の真相は闇のなかのようだし、大杉栄もまた、一筋縄ではいかない人物だったのだろうが…。日影茶屋は300年続いた茶屋(今は料亭)なのだから、様々な出来事があって当たり前、夏目漱石や川上眉山などとも「因縁浅からぬ」店だったらしい。

名物の大福を買って日影茶屋を後にした。海岸にでると冬の海はどこまでも青く、雪を被った富士山が水平線上に霞み、江の島が小さくふわりと浮いているように見えた。

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2019年1月22日 (火)

受験票

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tea bag(関係ないけれど…)

 

センター試験も終わり、いよいよ受験本番という季節。受験といっても幼稚園から小学校、中学、高校、大学、大学院、それに専門学校などさまざまだ。受験はどうしてもその時の体調や試験の内容(得意なものが出るか不得意なものが出るか)にも左右され、どうも実力100パーセントでもないような気がするが、いずれにしても、受験する本人も周囲も大変だ。

毎年、この季節になると、母が必ず持ち出す話題がある。私が「大学を受験する際に受験票を忘れていった」というものだ。当時は学生運動がまだまだ盛んで、受験生もひとりひとり受験票を呈示しないと構内に入れなかった。……だから入れなかったのだ。母は私が家を出たあとすぐに気がつき、タクシーで追いかけてきたらしい。私が途方に暮れて大学の正門前でうろうろしていた(多分、公衆電話を捜していたのだろう)ところに、タクシーで乗りつけた母が受験票を手渡してくれた。母は今90歳だが、そのことを絶対に忘れようとはしない。トラウマになっているのかもしれない。この季節になると必ずその話になり、20年前には孫たちに、そして今や曾孫にも、「受験票を絶対に忘れないでね」と真剣な顔で念を押す。大学には合格したが、母がタクシーできてくれなかったら絶対に入学できなかったわけだ。私はどうしてこんなにぼんやりしているのだろう、とちょっと悩んだが、まぁ、それは仕方がない。

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2018年12月18日 (火)

飼い犬に手を噛まれた

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…のではないが、包丁で指をそぎ切りにしてしまった。包丁を洗っている時にほんの少し刃に触れてしまったのだ。痛い!と思った時、いきなり「飼い犬に手を噛まれる」ということわざが浮かんだ。なぜだろう、きっとそんな気持ちだったのだろう。大事にしている包丁に指を切られた、というところか(自分の不注意なのに我ながら呆れる)。
先日整理した昔の料理本のなかに、赤堀全子『私の家庭料理』があった。全子先生が、表紙の裏に「愛をこめて使う包丁は光る」と書いてくださった。愛をこめて使う包丁、そうだ、料理は愛情がこもっていなければ美味しくない。赤堀料理教室にも熱心に通ったが……それにしてもあれから35年近くが過ぎた。

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2018年12月13日 (木)

料理教室

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スペイン料理のノート

暮だからというわけでもないが、物入れを整理していたら、昔の料理本や若い頃に通った料理教室のノートなどが出てきた。1番古いのは、大学時代に友人と一緒に通った辻嘉一の日本料理教室のノートだったが、1980年代前半にスペインのマドリードでスペイン料理を習った時のノートなどもあった。それぞれかなり詳しく書いてあり、熱心な生徒だったことが分かる。スペイン料理は色々な人に教えてもらったが、レストラン『カーボ・マジョール』のシェフに習ったガリシア料理はとてもためになった。私はそこで下地スープなどの基礎を学んだ。近ごろは油ものや甘いものはあまり食べないので、スペイン料理もパエジャぐらいしか作らなくなってしまったが、ノートを開いて読んでいるうちに、久しぶりにいろいろ作ろうかという気になってきた。ピストかトルティージャでも作ってみようかしら。

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2018年12月 7日 (金)

師走

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庭の柿の木も晩秋らしくなった

12月も何が何だかわからないうちに、もう1週間が過ぎてしまった。いつ頃からそれが始まったのかはっきりしないのだが、毎年、暮れには気に入った食品をネットで注文する習慣がついた。広島は尾道の蒲鉾、佐賀の嬉野や滋賀のお茶、岡山の酢、奈良の干し柿、小豆島のオリーブ、伊勢の海苔、秋田の味噌、千葉は八街のピーナッツなど。他にも北海道や新潟のものもある。旅先で見つけた名産品や調味料、それに肉や魚、野菜や果物などの食材、友人から頂いたり勧められたりした品(生産者が友人の知り合いだとなお良い)など、美味しくてまた食べたいと思う、そして健康に害のない安全な食品を取り寄せているうちに、すっかり癖になってしまった。今年もクリスマスや年末年始の家族の出入り、来客や訪問客などもだいたい目途がついたので、ひと働きしなければ。

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2018年11月26日 (月)

包丁

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ホトトギス

写真とは関係ないのだが、私の気晴らしは料理をつくること。若い頃から、いわゆる「おさんどん」は全く苦にならない。料理の味は「素材」と「包丁」の良し悪しで決まると思っているので、私はけっこう「素材」と「包丁」には拘る……だからといって、失敗しなかったということはないのだが……。
数日前、二子玉川の高島屋で包丁を買った、もうすぐお正月だし……と。ここ10年ぐらい、京都の「有次」を使っていたのだが、研ぎに出すのが大変。そこで東京、亀戸の「吉實」を1本買った。東京なら研いでもらうのも容易いだろう。「有次」に比べると少し重いが、握った感じが手にしっくりしてとても良い。昔、日本橋の「木屋」を使っていたがそれはもっと重かった。それより前はドイツの「ゾーリンゲン」を使っていたが、それはさらに重かった。確かに、ある一定の重みがないときれいに切れないのだが、年とともにやはり軽い包丁が重宝になってきた。今日はアジを三枚におろしたが素晴らしい切れ味。切れない包丁でさばくと骨に身がどうしても残ってしまうのだが、今日はほとんど身を無駄にしないですんだ。

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2018年11月25日 (日)

『私が愛する世界』・ソニア・ソトマイヨール・2

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昨日、24日の朝日新聞の朝刊、読書欄に『私が愛する世界』・ソニア・ソトマイヨールの書評が載った。

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2018年11月16日 (金)

『私が愛する世界』・ソニア・ソトマイヨール

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原書と翻訳書

ニューヨークに着いた日、JFK空港からタクシーに乗ったが、道すがら「コープシティー」と書かれた案内板を見た。「コープシティー」はこのあたりから近いのかしら、と考え、そこで育ったソニア・ソトマイヨールのことを思った。ソニアは現在60歳代前半、アメリカの最高裁判事だ(最高裁判事は終身の職)。ヒスパニック系(プエルトリコ)のアメリカ人女性で、多くの困難を乗り切って最高裁判事にまで上り詰めた「奇跡の人」である。彼女の半生をつづった『私が愛する世界』はアメリカでベストセラーになり、子ども用の絵本にもなっている。多くの国で翻訳出版されているのに、なぜか今まで日本では訳出されていなかった。しかし今年9月に、ようやく日本語の翻訳本が出版された。ソニア・ソトマイヨールは8歳で小児糖尿病を発症。生まれ育った地域は麻薬とアルコールに汚染されていた。彼女の父の死因はアルコール中毒、母は子どもを育てるために看護師として懸命に働いた。ソニアは幼いころから自立を余儀なくされ、自らインスリンを打つ決心をする。彼女は当時の差別是正措置の影響もありアイビーリーグの名門プリンストン大学に入学、そしてそこを首席で卒業してイェールの法科大学院に進んだ。卒業後は、検事局、法律事務所、連邦地裁判事、控訴裁判所判事を経て2009年に最高裁判事となった。この本を読んでいると、ソニアがいかに強い意志を持って学問に励んだか、いかに素晴らしい親族や友人に恵まれたか、そしてまた彼女の持ち前の楽天主義が、幸福な人生を歩むための基本だったということがわかる。彼女の言葉が、強さばかりではなく優しさを伴って響いてくる。「内にとじこもって壁を作るのではなく、外に向かって橋をかけなさい」

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2018年11月12日 (月)

ニューヨーク*NYフィルのコンサートとブロードウェイ

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リンカーンセンターのコンサート会場

ニューヨークフィルのコンサートに行った。会場のリンカーンセンターはオペラハウスやジュリアード音楽院などと同じ敷地内にある。開演は午後2時。指揮は、もとアムステルダム・コンセルトヘボウのコンマスだったヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。演目はルイス・アンダーソンの『Agamemnon・アガメムノン』(現代音楽)と、ストラヴィンスキーのバイオリンコンチェルト、同じくストラヴィンスキーの『Symphonies of Wind Instruments・風の楽器のシンフォニー』、それにドビュッシーの『La Mer・海』だった。私は風邪薬のせいでぼんやりしていたためか、どうやら「海」もぼんやりと霞んで穏やかな夕凪だったよう……。
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ブロードウェイ『キンキーブーツ』

ブロードウェイで子どもたちも一緒に『キンキーブーツ』を見た。古いイギリス風のシアター。これがブロードウェイね、ロンドンのウエストエンドの雰囲気とはちょっと違う、などとあたりを観察する。最初は、あまり子ども向きではない、女装した男性のショーかしらと思ったが、最後は良かった。主人公は美しい女装の男性とチャーリーという靴工場の経営者だったが、さすがにふたりとも抜群の歌唱力だった。

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ワシントン・スクエアのジャズバー

ニューヨークではジャズも聞いた。小さなジャズバーだったが、素晴らしい演奏だった。今回、ひとつ残念だったのは、是非見たいと思っていたゴヤの傑作『アルバ公爵夫人像』を見られなかったことだ。黒服に身をつつんだアルバ公爵夫人の指さす足元に、Solo Goyaと書かれていることで有名な絵だ。アメリカ・ヒスパニック・ソサエティは町の外れにあり、やっとたどり着いたら建物は改築中で美術館も閉まっており、お目当ての絵は世界各国をまわっているとか……本当にがっかりした。
帰国する前日の夕方、庭で餌をさがしているリスをゆっくりと眺めた。芝生のなかに見上げるほどに高い樹木が3本ほど立っていて、根元にはきのこが生えている。その木の幹をするすると下りてくる黒い毛なみの野リス、尻尾のまわりが白い大きな薄茶色のリス、それに芝生のなかを機敏に動き回るシマリスなどがかわるがわるやってくる。雌鹿がのっそりと庭を横切って行き、日暮れ時には鳥が鳴きさわぎ、やがて鳥も眠りに就いて静かな夜がくる。

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