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2016年10月

2016年10月20日 (木)

余部鉄橋

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写真は保存されている旧余部鉄橋

毎年恒例の、息子の小学校の母親仲間との小旅行にでかけた。今回は、丹後半島と城崎温泉。羽田から伊丹、伊丹から小さな36人乗りのプロペラ機に乗り替えて但馬空港へと向かう。「天空の城」として話題になった竹田城跡、古い城下町の出石、豊岡、そして日本三景の天橋立、船屋の立ち並ぶ伊根、玄武洞などを見て歩いたが、最も印象的だったのは余部(あまるべ)鉄橋だった。明治45年に完成した鉄橋は平成22年にコンクリート橋に架けかえられたが、旧鉄橋も一部保存されている。見上げれば眩暈がしそうなほどの高さ……海に向かって左右の山をまたぐように架けられている。

私は「橋」を見るのが好きで、イギリスでは真っ先にアイアン・ブリッジを見に行ったが、セヴァーン川に架かる鉄橋は想像以上に美しくて素晴らしかった。まさに産業革命の象徴だった。ここはイギリスの鉄橋とは風情が違うが、同じように人々が苦労して造ったのだろうと感動しつつ眺める。この橋で、昭和61年12月28日午後1時25分ごろ、悲惨な事故が起こった。山陰本線の列車7両が強風にあおられて鉄橋の上から落ち、下にあったカニの加工工場を直撃、パートで働いていた主婦5人と車掌が犠牲になった。死者6名重症者6名。運転手は機関車に乗っていたので一命をとりとめた。回送電車(お座敷列車だったとのこと)だったので、車両が軽くて強風に飛ばされてしまったのだろうか。橋の下には白い慰霊塔が立っている。

宿は城崎温泉だった。志賀直哉の随筆(エッセイ)『城の崎にて』は、筆者が山手線にひかれて九死に一生を得たあと、城崎で静養したときに書かれた。蜂の死骸、川に流される傷つけられたねずみ、自分がうっかり殺してしまったイモリのことなど、小さな弱きものの命と死を見つめる随筆は、中学の教科書にも載っていた。

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2016年10月10日 (月)

『幻の朱い実』石井桃子

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石井桃子は童話『ノンちゃん雲に乗る』や『熊のプーさん』の翻訳などで知られる児童文学作家だ。『幻の朱い実』は、87歳で書きあげた最初で最後の長編小説。戦前に青春時代を送った女性たちの話で、地味な小説だが不思議な魅力がある。「朱い実」は烏瓜(カラスウリ)のこと、ほとんど石井桃子自身の私小説らしく読める。

語り手明子と結核で早世する明子の女子大の上級生蕗子、そして第3部に頻繁に登場する蕗子の友人加代子。第1部と第2部では、明子と蕗子、ふたりの若い女性の友情を越えた深い愛が描かれる。出会って間もない蕗子と明子は、房総の宇原という村でひと夏を過ごす。そこは『房総文学散歩』(毎日新聞千葉支局編)によれば、勝浦の部原(へばら)らしい。

蕗子が自らの健康を省みずに他人のために尽くすのを見て、明子は蕗子の気持ちを疑い、それまで決めかねていた結婚を決意する。「明子は蕗子を見失った。それは足のひょろつくほどの頼りなさだった」だから「節夫(結婚相手)にとりすがったのではなかったか。明子は後ろめたさにため息をついた」。明子は結婚してもなかなか夫に打ち解けなかったが、ついに子どもができて成長する。それを知った蕗子は明子が子どもを産むことに、まるで嫉妬するかのようだ。なにがあっても明子は蕗子のことを忘れた日はなかった。蕗子に対して明子は「愛している、という日本語としては馴染めない言葉をいうしか」なく、蕗子が死んだら本当は「あなたの手に触れたものは全部欲しい、と言いたい」と思うほど愛は深かった。

蕗子がこの世を去って50年後、蕗子の友人加代子は「とても楽しかった、あなたみたいに色っぽい人と暮らせて」と蕗子にいわれたと笑い、「あの人は、『女の中の男』だから」という。ともに蕗子を愛したふたりは、古い手紙に綴られた蕗子の病と孤独に今さらながら心を痛める。そして次第に明らかになっていく蕗子の激しく奔放な恋愛……。明子と蕗子そして加代子、早世した蕗子をめぐる3人の深い愛情関係が優しい思いやりを持って描かれる。

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