« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月

2017年1月17日 (火)

小堀杏奴・リボン

DSC_4456

 

小堀杏奴さんは森鴎外の娘、茉莉さんの妹だ。祖父、大槻憲二は茉莉さんはじめ、杏奴さん類さんとも親交があった。祖父は、杏奴さんに初めて会った時の印象を「アンヌさんはとても23歳にはみえない若さ……」と、日記にしたためている。このところ杏奴さんのエッセイを読んでいる。私は茉莉さんのエッセイ集が大好きだが、杏奴さんのエッセイは常識的でしっとりとしていて、茉莉さんとは違った趣がある。

杏奴さんのエッセイのなかに「リボンと造花の簪」というものがある。「リボンという優しい呼び名を口にしただけで、今は遠く過ぎ去った幼い日々が眼の前に浮かび上がって来る」子どもの頃に通っていた学校ではリボンは白か黒に限られていたが、「黒いリボンでも舶来のビロード地」とか「白いリボン地に同色の絹糸で刺繍を施したもの」で幼いながらひそかにお洒落を楽しんでいた少女たちもいた、とある。「ビロード地、厚地で木目の浮き出たもの、薄く、滑らかな光沢のある絹地、だいぶ後になると、夏向きの透き通った紗のリボン地も出るようになった」、杏奴さんはそれらを銀座の「関口」という小間物屋さんで買った、と書いているが、これはもちろん戦前のこと。戦後生まれの私はその店を知らないが、それでも私の子ども時代には、やはりリボンは少女の憧れだった。今のように様々な髪飾りが安く手に入る時代ではなく、リボンは高級品だったし、私も外出の時はよそ行きの服を着せられて、新しいリボンを結んでもらった。横分けにして前髪を耳の上で黒いゴムで束ねたうえに、リボンを結んでもらうのだ。七五三の三歳のお祝いに水の流れのような大きな渦巻柄(杏奴さんは木目といっているが)が浮かび上がった6センチほどの幅のうすいピンク地に中央に薔薇の連続模様のある美しいリボンを結んでもらった。7歳の時は和装だったので、鶴や亀の水引きをあしらったリボンで作った簪で飾ってもらった。

私は髪の毛が極端に茶色く、色が白いのが七難だか十難だかを隠しているような平凡な容姿の子どもだったが、やっぱり人並みにお洒落がしたかったのだろうと思う。リボンを結んでもらうと、まるでアンデルセンの童話に出てくるお姫様になったような気分だった。リボンを結ぶことを、リボンをかける、と杏奴さんは書いているが、確か、母もリボンをかける、といっていたように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月 8日 (日)

宴のあと

DSC_7686

旗が岡神社

 

クリスマスもお正月も賑やかに過ぎた。静まり返った家のなかを見まわし、今後のことをぼんやり考える。

毎年、この時期は眠れない。いくら遅く寝ても必ず明け方の3時半に目が覚めてしまう。これは夏も同じだ。夏と冬は夜の闇が深いように感じる。深い闇の底へ落ちてゆくような眠り……それは春や秋にはない気候や気温による物理的要因によるストレスなのかもしれない。いくら室内の温度を調節しても、身体に感じる気温の違和感はごまかすことができない。

けれども眠れない原因は、どちらかというと物理的なものより精神的なものにあるような気がする。眠れない、ということは辛いことだ。眠れないと、つまらないことを考えはじめるからなお眠れない。ふと目覚めた深夜、次第に意識がはっきりしてくるとともに、よみがえるさまざまなできごと……、でもそんなとき、明るく前向きに物事を考えることは難しいだろう。苦しかった思い出、悲しいできごと、仲違いしてしまった人たちのこと、さまざまな心配。やがて明日の希望も潰えて、行きつく先の死を無意識のうちに思い描く。

だから私は目が覚めるとすぐに明かりをつけて本を開く。目が覚めてしまったら無理に眠らなくても良い。目が疲れてしまったときはラジオを聞く。おおかたラジオは面白くないが、それでもどうにもならないことを考えているよりましである。昨日は原田康子の短編集をひろげて『愛しの鸚鵡』と『海を射つとき』を読んだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »