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2017年3月 3日 (金)

小田原「だるま」と川崎長太郎

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先日、小学校時代の友人たちと箱根に行った。何といってもみな60年ほど前に出会った友人たち……心置きなく笑えて、本当に楽しい旅行だった。

途中、小田原の老舗料理店「だるま」で昼食をとる。「だるま」は私小説家、川崎長太郎が足しげく通った店だ。父は小田原の魚卸し業者で、漁師から活きのいい魚を仕入れては、箱根の旅館やホテルに天秤棒を担いで売りにいった。家業は弟が継ぎ、手広くやっているかと思うと借金をかかえる、という繰り返しだったが、晩年は小田原の市会議員まで務めた。長太郎はひとり、浜辺の掘っ建て小屋で暮らし、ろうそくの火で手を温めながら小説を書いた。

「だるま」は天丼やちらし丼が有名な店で、川崎長太郎は「栄養があるから」とちらし丼をよく食べていたという。自選全集Ⅱのなかに『蝋燭』という短編があり、「だるま」の女中たちに言い寄る川崎自身のことがながながと書かれているが、昔は飲食店や旅館の女中は、私娼街の女たちとそう変わらない立場だったのかもしれない。川崎の短編には、戦時中の苦労や芸者とのごたごた、夫の小説を持参してきた人妻と恋仲になって湯ケ野へ出かけたことなどさまざま書かれていて臨場感がある。小説と随筆の違いが、小説は架空のもので随筆は筆者の実体験から得た感慨を述べるものである、とすると、私小説といわれるものは随筆に近く、例えば荷風の『墨東奇譚』などもそうであろう。一般的には色々な意味で、私小説はあまり高く評価されないが、川崎長太郎の小説は、文章に稀にみる力と独特の美しさがあり、小田原の町の生き生きとした様子が、作者の目と耳と肌を通してくっきりと浮かびあがってくる。潮騒が微妙に変化する音、私娼街の三味線の爪弾きと女の濃厚なおしろいの色、料亭の魚料理の匂いや仲居の足袋をする足音……それらを読んでいると、小田原は遠い夢の町のように美しい。

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