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2017年10月17日 (火)

日本のワーズワース・大町桂月

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大町桂月の墓

 

翌日は、大町桂月ゆかりの蔦温泉旅館に泊まった。質の良い温泉で知られる蔦温泉、湯は透明で少し熱め、評判通りだ。風呂場は天井が高く、太い梁が渡してあり、湯治場の面影を残して素朴だが趣がある。

大町桂月は、秘境を探検し、保存を訴え、そこに永住し永眠したいと願った詩人。イングランドの湖水地方をこよなく愛し、ダヴ・コテッジ、ライダル・マウントと移り住んだイギリスの桂冠詩人ワーズワースのようだ。大町桂月は明治2年に高知で生まれた。桂月は高知の桂浜からとった号。父は土佐藩士。東京帝国大学在学中から文学活動に勤しみ、後に博文館に入社。明治41年、博文館の編集長だった五戸町出身の鳥谷部春汀に伴って、平福百穂とともに十和田へ赴く。桂月は十和田周辺の美しさと雄大さに深く感動し、その10月に15章からなる紀行文『奥羽一周記』を発表し、十和田を世に紹介した。大正11年、日本の名山を10年で踏破する計画を立て、富士山をはじめ、北アルプス、南アルプスの山々に登り、多くの紀行文、漢詩、俳句、和歌を残した。十和田、奥入瀬、八甲田を愛した桂月は大正12年に「十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願」という請願文を起草。十和田は昭和11年国立公園に指定された。

桂月はそのなかでも、特に蔦温泉を好み、家族ともども本籍を蔦温泉に移した。大正14年、蔦温泉で没。享年57歳。

次の朝も激しい雨。A子に、大町桂月の墓に絶対に行きたいというと、雨のなかつき合ってくれた。国道から林に入り、少し歩くと苔むした石段があり、上り詰めた先にそれほど大きくはない自然石が見えた。『大町桂月の墓』とある。桂月の墓の後ろに大きなぶなの老木が枝を伸ばしていた。紅葉にはまだ早く、緑の葉が雨に打たれていた。雨の匂い……湖水地方のコッカマスで生まれたワーズワースも、古い教会の庭で永遠の眠りについていた……。

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