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2017年11月

2017年11月28日 (火)

小豆島『二十四の瞳』・岬の分教場

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中山千枚田、そして農村歌舞伎舞台をみて、小説『二十四の瞳』やその映画の舞台となった「岬の分教場」に行く。分教場は明治35年に田浦尋常小学校として作られた。昭和46年に廃校。校舎に入ってみれば、何と、私が小学校に入学した時に座ったものと同じ、ふたり掛けの素朴な木の机と椅子が並んでいて、黒板の横には当時のオルガンも置いてあった。60年前の懐かしい教室の風景だ。
壼井栄の『二十四の瞳』を何十年ぶりかで再読した。大石先生と12人の子どもたちが主人公。次第に激しさを増して行く戦争。大石先生も結婚して3人の子どもに恵まれるが夫は戦死し末の子どもを亡くす。男の子たちは戦地へ行き、5人のうち還ったものは2人、そのうちのひとりは失明していた。女の子たちの運命も過酷で、戦争と貧困に打ちのめされたような短い人生だった子どももいる。小説『二十四の瞳』には愛と思想がある。壼井栄は54歳の時『二十四の瞳』で一躍有名になり、57歳で没した。
映画村で「壼井栄文学館」をみて、そこで記念に『二十四の瞳』の文庫本を買い、昼食をとって寒霞渓、そして西光寺へ。西光寺に、私が大学生の頃から興味を持ち続けている「隠れキリシタン」の墓があり、小豆島にも渡っていたのだ、と感慨無量だった。

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2017年11月24日 (金)

小豆島「江洞窟」の庵主

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フェリーで小豆島へ向かった。雨は止んだが天気は悪い。スペインから持ってきたという1000年オリーブの木を見たあと、巡礼の60番札所、弁財天を祀る「江洞窟」へ向かう。
庵主は97歳の宮城英徹氏。彼は長野県旧制松本高等学校卒。戦後、得意の英語を活かしてGHQに勤務。その後、商社員となってイラクに滞在、80歳を過ぎてから、高野山大学、大学院修士課程で仏教(真言宗)を学び御仏に入門したという。修士論文も立派なものだ。生涯独身で、今も信じられないくらいお元気。いったいどんな人生をおくってきたのだろう、そしてなぜ80歳を過ぎて仏門に入ろうなどと思ったのだろう。戦中戦後の日本で、またイラクで何を見て何を思ったのか……詳しい話を伺うことはできなかったけれど、このような方もあるのだと深く感じ入った。
その後、エンジェルロードと名付けられた砂洲へ。アガサ・クリスティーの『白昼の悪魔』の舞台となったイギリスのバー島やセントジョージ島、有名なフランスのモン・サン・ミッシェルのような感じで、干潮のときは地続きになり歩いて渡れるが、満潮になると渡れないという……イギリスやフランスのものに比べれば規模は非常に小さいが美しい場所だった。

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2017年11月23日 (木)

倉敷「エル・グレコ」で思うこと

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いつもの仲間5人で倉敷と小豆島に行った。倉敷に着いた日は、町を歩いて舟に乗り、古い土蔵を改装したレストランで食事をした。翌朝は、大原美術館を見たあと喫茶店「エル・グレコ」に入る。大きなガラス窓から色づき始めた蔦が風に揺れているのが見える。レトロな椅子に座って友人たちとコーヒーを飲みながら、ふと父のことを思い出した。
倉敷は亡き父と歩いたことがある。父とふたりで旅行ともいえない旅行をしたのはそれ一度きり。どこのホテルに泊まったのか記憶にないが、この「エル・グレコ」で父がコーヒーとチーズケーキを注文してくれたことはよく覚えている。当時、私はまだ大学生で卒論の資料を集めるため、大学で募集された韓国旅行に友人と一緒に申し込み、関釜フェリーに乗るために下関へ向かうことになっていた。同じ日に父は福山へ出張だった。「それなら1日早く出て、倉敷でも案内してやろうか」と父が言ったのだ。行きの新幹線のなかで会社の人に偶然出会った。父が「私の娘です」と紹介すると、その人は「まぁまぁ良いですから」と、父の顔もまともに見ないで立ち去ってしまった。父は「なんだ、いったい何を考えているんだろう」と少し不愉快そうに言いながら、どこか嬉しそうだった。
翌朝父と別れ、私は下関の集合場所で友人と落ち合い、色々な大学から集まってきた学生たちに混じって夜行のフェリーに乗り込んだ。夕食後、友人とふたりでフェリーのなかの喫茶室に座ってお茶を飲んでいたら、ちょっと格好の良い、いかにも商用で出かけるといった感じで忙しそうにそわそわと室内を見回していた若い男(といっても30歳は過ぎていただろう)が近づいてきて、「君たちは大学生ですか」と話しかけてきた。どこから来たのか、どこの大学か、なぜこのフェリーの乗ったのか、などと聞いた後、明日、自由時間はあるのか、もしあるのならソウル大学の男子学生を紹介するから会ってみないか、とても頭の良い気さくな学生たちだから是非紹介したい、タクシーに乗ってくれば良い、と言い一枚のメモを渡した。私たちは20歳を少し過ぎたばかり、その男の言葉を全面的に信じ、疑うことなど思いもしなかった。翌日、指定された時間がもし自由時間だったら、彼女と二人でその場所へ行っていたかもしれない。そうしたらどうなっていただろう。犯罪に巻き込まれて被害者になっていたかもしれない。ずっと後になって、ある人にこの話をしたら、えぇーと驚かれてしまい、「何を呑気なこと言っているの。北朝鮮に拉致されるところだったんじゃないの?」と言われた。そうかもしれない、確かにそうかもしれない、まさしくそんな時期だった!その時はそう思ってぞっとしたが、今は、考えても分からないことを考えても仕方がない、と思っている。あまりにも遠い昔のこと……父を思い出しながらコーヒーを飲んでいたら、とんでもない方向に記憶が流れてしまった。

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2017年11月 9日 (木)

七五三

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写真は高折先生から頂いたマスコット人形

 

先週末は、孫の7歳のお祝いだった。孫は60年前の私の晴れ着を着た。それは私の7歳のお祝いに祖父が買ってくれたものだ。記念撮影をして孫のいう「かしこみ」を済まして近くの料理屋へ行き、皆でお祝いの膳を囲んだ。料理屋に入って行くと、玄関ですれ違った中年のご夫婦が「なんて可愛いんでしょう!」といってくれた。食事が終わり、商店街を歩いていると、すれ違う見知らぬ人たちが「おめでとうございます」とか「可愛いですね」といいながら立ち止まってくれる。孫もにこにこしてやっぱり嬉しいのだろう。気持ちの良い秋晴れの1日だった。60年前の私の七五三の日は、神社の帰りに高折宮次先生のお宅に母に連れられてご挨拶に行った。私にとって「猫に小判」だったピアノの大先生。奥さまの道子先生が「おめでとうございます」といってとてもモダンなマスコット人形をくださった。古くなって汚れてしまったけれど、今でも持っている。

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