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2018年7月

2018年7月26日 (木)

罪と罰

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誰かが死刑になると、必ず死刑囚に同情する意見が報道される(もちろん冤罪の場合はまったく別の問題)。そういう意見は、一見、冷静に見えるが、私にはかなり感情的に聞こえる。同情するのは勝手だが、何の落ち度もなく殺された被害者の無念や遺族たちの苦しみを本当に理解していれば、軽はずみに(しかも公に)口にできることではない。第三者は何でもいえるけれど、遺族は永遠に癒されることはないのだ。それに、罪を犯したことがはっきりしているのなら、それなりの罰を受けるのも当たり前だし、また、この世には、死んで(命にかえて)お詫びをしなくてはならないほどの罪も、残念ながらあるのではないだろうか……。

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2018年7月24日 (火)

猛暑

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今日も暑い。報道機関は一日中、「猛暑」、「熱中症」、「こまめに水分」(この場合、「こまめ」という言葉を使うのは適当ではないが、まぁ流行語みたいになってしまったので仕方がない)、と同じ単語をくり返す。
スペインのマドリッドでは、夏は40度などいつものことだった。42度や43度もあった。アスファルトの道を歩く時は、転んだらやけどをするから気をつけなさいといわれた。まるで熱い鉄板の上を歩いているようだった。夏の午後は、町にはほとんど人は歩いていない。よくいわれるようにシエスタ(昼寝)をしているわけではないが、朝は早くから出勤して1時過ぎまで働き、人々は自宅に帰ってゆっくり昼食をとるのだ。真夏になると、朝の8時ぐらいから午後3時ぐらいまで軽食をとりながら働き、その後帰宅してしまう。マドリッドのピソ(マンション)に住んでいるスペイン人たちは郊外にチャレ(別宅)を持っている人が多く、夏はそこで過ごすので、町は閑散としている。
それなのに、冬は猛烈に寒い。氷点下5度などというのも珍しくない。シベーレス広場の噴水が氷って大きなつららになっていたりする。毛皮のコートを着ていても信号で足止めされるとあまりに寒くて足踏みせずにいられない。子どもたちは手袋とマフラーはいうに及ばず耳あてをしないと外に出られない。まぁ、これも35年前のことだから今はどうなのか分からないのだが。
問題なのはどうしてこのように急激に気候が変化するのか、ということだ。地球上のさまざまなバランスが崩れている。二酸化炭素による地球温暖化だけが原因なのだろうか……。

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2018年7月19日 (木)

夏みかん

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久しぶりに、というのもおかしいが、実際、久しぶりに商店街を抜けて駅まで行った。駅の踏切の手前で、甥に似た後姿を発見して、もしやと思って近くに寄ってちらと見たが、抱いていたのは違う女の子だったので、あら、甥ではなかったわ、と思った。背の高い若いお父さんが大きなスーパーの袋を両手に持って、抱っこひもで可愛い女の子を抱っこして電車が通り過ぎるのを待っている。今はお父さんが子どもを抱いてスーパーで買い物をする時代なのだ。それを思えば、一部の戦前の父親などほとんど犯罪者のよう……。とにかく威張っている、気に入らなければ家庭内で暴れる、子どものことはすべて母親の責任だとしてやりたい放題、お前たちを養っているのだ、文句はあるか、というような調子。確かに今より日本の社会も厳しかったかもしれないが……などと考えながら用事を済ませて、帰途、いつもの坂道にさしかかる。暑いので日傘をさしてゆっくり上っていく。坂の真ん中あたりに大きな夏みかんの木があり、いつもそこで一息つくことにしている。かなりの古木で、黄色い実をたくさんつけて緑の葉を茂らせ、道にまでせり出して影を作っているのだ。しかし……ない。あるはずの夏みかんの木がない。その場所をかなり過ぎてから、夏みかんの木がなくなっていることに気づいた。振り返って見渡せば、そこはすっかり更地になっていた。

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2018年7月13日 (金)

『クロード・モネ』ロス・キング著・長井那智子訳

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http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=862&st=4

私は子どものころから書くことが好きだった。日記も小さい時から書いていたし、時々お話を作って書きとめたりもしていた。手紙やはがきを書くのも好きで、就学前に祖父母からきた全部ひらがなで書かれた「お返事はがき」も大切にしまってある。私にとって、そうして書いたものはすべてが「秘密」だった。誰にも見せたくない……日記は暗号みたいになっているページもあったし、手紙は出さない手紙のほうがもっと大事だった。ジェーン・オースティンは、自分の書いているものを見られたくないので、誰かが入ってきたことが分かるように、部屋のドアの軋みを直させなかったという。その気持ちはよく理解できる。そんな内気な私だったのに……おかしなものだ。

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2018年7月11日 (水)

映画『えんぴつ泥棒』

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孫たちが通うアメリカの学校で、夏休みに入る前の日(最後の授業が終わった日)、親子で映画を見るイベントがあったらしい。映画は広い芝生の校庭に設えられたスクリーンで見るようだが、ホットドッグやハンバーガー、タコスなどのフードトラックもくるという。日本よりも日が暮れるのが遅いので、軽い夕食をとりながらのんびりと待っているのだろう。
そういえば……私が小学校低学年の頃(1950年代後半)にも、夏休みの始めに学校の校庭で映画鑑賞会があった。自由参加で、確か数回しか開催されなかったと記憶しているが、『えんぴつ泥棒』とういうモノクロ映画がとても印象に残っている。当時、映画やラジオドラマ、童話などによくみられた「学級もの」だった。口数の少ない賢そうな少女が主人公。彼女がクラスの仲間が捨てた短いえんぴつを拾っては持ち帰るので、みな、彼女を奇異の目で見るようになる。そんなある時、男の子の色鉛筆の箱がなくなり、女の子に疑いがかかる。事実を確かめるために担任教師が女の子の家を訪ねると、女の子は短くなったえんぴつで人形を作っていたのだという。ある時、物乞いをする親の傍でえんぴつで作った人形で遊んでいる子どもをみて、そんな子どもたちに贈ろうと人形を作っていたのだと。なくなった色鉛筆はすぐに見つかり、クラス全員が恵まれない子どもたちのために人形を作ることになる、という「思いやり教育」の映画だった。私は子どもなりに(子どもだから)とても感動した。体育館の外壁に張られたスクリーンには、強烈な光に集まってくるたくさんの蛾や羽虫や細かい昆虫の影が行きかい、小さな弟や妹たちは校庭の砂で山を作ったりして遊んでいた。映画が終わると、母に手を引かれて家に戻り、すぐに眠った。あの当時の何ともいえない暗闇の神秘が、子ども心に映画という印象的な夢を残したのかもしれない。

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2018年7月 7日 (土)

フルート・アンサンブル

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先週末、友人のフルート・アンサンブルを聞きに行った。音もそろっていて、皆、楽しそうに吹いていて、とても良い演奏会だった。そして友人の先生が青木明先生にも教えを受けた方だということがわかりとても懐かしくなった。青木先生はフルート・アンサンブルに力を入れていらした。
私が青木明先生のもとへ通い始めたのは16歳の時だった。それ以前にも別の先生にフルートを教えていただいていたが、高校生になり本格的に音大をめざそうと高校の音楽の先生に相談したところ、青木先生を紹介して下さった。
青木先生のお宅に母と一緒に初めて伺った時、先生はまだお若く、ご子息はまだ本当に小さくて、お嬢さまは生まれていなかった。先生は初対面の私をご覧になって、「あなたはフルートに向いていますよ」とおっしゃった。私も母も、もちろん喜んだ。きっとひと目で私の才能を見抜かれたのだわ、などとは全然思わなかったが、そういって勇気づけてくださるのだわ、と思った。でも本当はそうではなく、先生は私の口の形と歯並びを見てそういわれたのだった。フルートに適した形の唇と歯並び。それは残念ながら、美しい女性のおちょぼ口とは正反対の形だったのだが……。
フルート・アンサンブルの当日は、モーツアルトの『アンダンテ』を演奏した方がいて、それも懐かしかった。高校生の時に舞台で演奏した曲だ。譜面上は簡単で地味だが感情を表現しにくい曲で、そういう意味でとても難しい。『アンダンテ』には曲の最後にカデンツァがある。青木先生は、自分で作ってごらんなさい、とおっしゃってそれは宿題になった。私は、何とかそれらしく作って(ランパルやニコレのカデンツァを聞いて、なるべく同じようにならないようにして)次のレッスンでおそるおそる吹いたら、「良いねー」と褒めてくださったことを昨日のことのように思い出した。月日の経つのは本当に早い。まさしく「光陰矢の如し」だ。

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2018年7月 1日 (日)

斎藤潔&真佐子・水彩画二人展

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   『St.マダレーナ教会』

 

斎藤さんご夫妻の個展は今回で7回目。淡い色合いの美しいスケッチ画だ。ご主人は「光と影の風景画」、奥さまは「3色絵の具の静物画」を得意とされる。ご夫妻はともに70歳代後半。会場にはたまたまご主人だけがいらして奥さまには会えなかった。昔から「文は人なり」、などというけれど、まさしく「絵画も人なり」だ。ご主人は仕事から離れてから描き始めたというが、お人柄そのもののような穏やかな、それでいて何というか、とてもゆきとどいた(技術的にも精神的にも)完成度の高いスケッチだと感じた。圧巻はオーストリアとの国境に近いイタリアの山岳地帯ドロミテの風景画。特にご案内のはがきにもあった『St.マダレーナ教会』は、観ているうちに誰でもきっと、知らぬ間に絵のなかに佇んでいる自分を発見するに違いない。

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