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2019年5月

2019年5月28日 (火)

70歳の中学生

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 彌彦神社の「玉の橋」

先日、中学時代のブラスバンドクラブの仲間と蓬平温泉に一泊旅行に行った。このところ色々なことがあって気分が晴れなかったが、旅行中は心身ともに寛ぐことができてとっても楽しかった。万葉集にも詠われた彌彦神社、そして燕三条の鋳物メーカーの店や「久保田」で有名な朝日酒造などを巡り、名物のへぎ蕎麦を食べて解散。参加者は15名、私の学年は一番下であとは年上、なかには、中学以来ずっと会っていなかった先輩もいた。じつに半世紀以上、みな、別々の場所でそれぞれが知らない人々と暮らしてきたのだ。でも、ひとこと話せばあっという間に昭和30年代の中学生に逆戻りして、まるで70歳の中学生。卒業式に「制服の第二ボタンが欲しい」と密かに願った先輩は誰だったかしら……それもはっきりとは思い出せないほど遠い昔のことだ。

ところで、男子生徒の詰め襟や女子学生のセーラー服だが、海軍の制服(軍服)からデザインされたもののようだ。戦前に作られたものを戦後も踏襲し、そして戦後74年を経た現在も使われている。戦前は、学校=軍隊だったのかしら……他にも軍服が学校の制服になった理由はあったかもしれない……などと考える。私は高校に進学しても、冬は紺、夏は白のセーラー服だったので、中学高校と6年間セーラー服を着て学校に通った。私はといえば、ただ単純にセーラー服が大好きだった。

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2019年5月11日 (土)

『ふらんす物語』

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永井荷風の『ふらんす物語』を読む。少し前に『あめりか物語』を読み、内容よりも文章の美しさにひかれた。1903年にアメリカに渡った荷風は、4年間のアメリカ滞在の後、憧れのフランスへと向かう。『ふらんす物語』は発禁になった有名な本のひとつで、書かれてから60年もあとに世に出た。とにかく当時の日本にあれだけ否定的だったら、軍部でなくても抵抗があるだろう。かなりの西洋かぶれで話題といえば娼婦のこと。しかしそれらはかえって当時の日本男性の性向を示しているようで興味深い。

『ふらんす物語』の最後、『悪寒』と題する章に、こうある。「巡査、教師、軍人、官吏……楠木正成の銅像、人道を種に金をゆすって歩く新聞紙、何々すべからずずくめの表札……器量の悪い女生徒、地方出の大学生、ヒステリー式の大丸髷、猿のような貧民窟の餓鬼、昔から日本帝国に対して抱いていた悪感情が……過ぎた夜の悪夢を思い出すように、むらむらと湧返って来た」これは帰国の途に就いた荷風が、しだいに日本に近づきつつある船上で感じた焦燥と諦念だ。楠木正成の銅像まで引き合いに出して、西洋に比べて意識の低い貧しい野蛮国だという、敵意に近い感情を持って語られる祖国日本。続いて、中国で教官をしていた日本男性とその妻子に対する感情的な批判と悪口が続き、そこからアジア全体の悪感情へと発展していく。欧米の植民地となり搾取しつくされたアジアの国々に対する同情、富と力でアジアを奪いつくした欧米に対する怒りは感じられない。しかしそんな荷風が、晩年は日本の文化を愛して日本情緒に浸り、あの小説風随筆の名作『墨東奇譚』を書き残したのだから……

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