ホテル・旅館

2013年6月13日 (木)

南山荘

 大分前だが、伊豆の長岡温泉にいった。明治40年(1907年)創業の南山荘に泊まる。数寄屋造りの和風建築。離れが何棟もあって階段や橋で繋がっており、全盛時代はどんなにか素晴らしかったのだろうと思う。平成15年から素泊まり旅館になっている。3つの源泉とこれだけの建物を維持するにはお金がかかり過ぎるのだろう。
 川端康成や北原白秋のゆかりの旅館だというので興味をひかれて予約した。案内書によれば、大正12年から昭和の始めにかけて川端康成がよく宿泊していたという。『伊豆温泉記』にこの旅館のことが書かれていて、肌に良い温泉だとあるらしい。昭和5年から14年にかけて北原白秋がよく利用したという。白秋は当時新しくできた離れの窓からの眺めが気に入って、源氏山の南面に位置するので南山荘と命名した。
 私の泊まった部屋は離れで、床柱や落しかけなどとても凝った作りだった。天井の棹縁は樹皮をつけたままの面皮材、壁や天井には竹や檜の経木を編んだ網代、装飾の浮き彫りも素晴らしい。
 イギリスで好んで泊まったヴィクトリア時代のホテルを思い出す。廊下に、全盛期の名残りのような淡い光が点っていた。ここをヴィクトリア時代の人たちが歩いていたと思うだけで、映画を見るよりもはっきりと情景が浮かんできた。南山荘も同じ。この数寄屋造りの部屋に泊まった80年前の人々……、美しいものは永遠に美しい。そう、いつか残骸となり果てても。
 玄関にたったひとり受付の仲居さんがいるだけで、広い旅館内に立ち働く人の姿が全く見えなかった。仲居さんに白秋が泊まったのはどの部屋ですかと聞くと、当時のことは知らないという。旅館全体がまるで穏やかな老人に思えて、物忘れもするのかな、などと思った。

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2009年2月 4日 (水)

京品ホテル・なぎさホテル

品川駅前の「京品ホテル」がついに取り壊されてしまうらしい。創業は明治4年、趣のある素敵なホテルで品川のシンボルのようなものだった。様々な事情があるとはいえ、壊してしまえば永遠に失われてしまう。

母の女学校時代の友人K林Y子さんはそのホテルのお嬢さんだった。母はホテル内にあった彼女の家に遊びに行ったことをよく覚えているという。昭和15年、16年頃、母が12歳、13歳頃のことだ。1階はお店が並んでいて、2階部分の端が住居になっていた、階段を上がると迷路のような暗い廊下が続いている、お菓子をご馳走になったりして、彼女の部屋で一緒に遊んだという。しみじみ懐かしい、Y子さんともいつしか疎遠になってしまった、と母。

このあいだ「理科ハウス」のある逗子に行ったが、逗子には「なぎさホテル」があった。大正15年に創業したホテルが、もう20年も前に廃業していたということを知ったのはつい最近だ。「なぎさホテル」は若い頃とても気に入っていて、よく出かけたものだ。戦後の青春映画の舞台にもなったという。ホテルのレストランでカレーライスを食べて、一日じゅう海を眺めて東京に帰ってきた。

母の思い出の「京品ホテル」私の思い出の「なぎさホテル」……イギリスには美しい亡骸のようなホテルがたくさん残っていた。ほの暗い廊下に敷かれた赤い絨毯の上を歩くと、百年前、同じようにここを歩いただろう人々の微かなざわめきが聞こえるようだった。

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