ホテル・旅館

2019年2月20日 (水)

『雪国』の宿「高半」

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川端康成が滞在した「かすみの間」

越後湯沢の旅館「高半」に行った。昨年2月に行くつもりで『雪国』を熟読していたのだが、一緒に行く人がB型インフルエンザにかかり行かれなくなった。そこで今年こそと予約し直して出かけた。小説の冒頭にある通り、国境の長いトンネル(清水トンネル)を抜けると景色は一変して雪景色、越後湯沢駅で下車して外に出ると、白い空から落ちてくる灰色の雪が激しく舞っていた。「高半」は900年ほどの歴史があり、川端康成がここを舞台に『雪国』を執筆したことで有名だ。因みに与謝野鉄幹、晶子夫妻、北原白秋、西脇順三郎、池部均、宮柊二、また田中角栄なども滞在したという。『雪国』に登場する芸者駒子のモデルとなった女性に関する資料も展示されている。3階建ての木造建築は平成のはじめに建て直されてしまったが、川端が逗留した「かすみの間」は当時のまま(位置もそのまま)保存され、窓外に広がる山々の景色も小説『雪国』の「山峡は日影となるのが早く、もう寒々と夕暮色が垂れていた。そのほの暗さのために、まだ西日が雪に照る遠くの山々はすうっと近づいて来たようであった」という一節そのものだ。……鏡台の前に座った駒子の赤い頬が背景の雪景色のなかに浮かんでいるようであり、それが夕暮れの汽車のガラス窓に映った葉子の眼のなかに点る明りを連想させるようであり、部屋の手すりに駒子が拗ねて腰かけるのが見えるようでもあり……しばし物語の世界を堪能する。伊豆湯ケ野の「福田屋」は川端が『伊豆の踊子』を書いた宿で、その部屋は今でも宿泊できるが、ここは自由に見学できるが宿泊はできない。

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2009年2月 4日 (水)

京品ホテル・なぎさホテル

品川駅前の「京品ホテル」がついに取り壊されてしまうらしい。創業は明治4年、趣のある素敵なホテルで品川のシンボルのようなものだった。様々な事情があるとはいえ、壊してしまえば永遠に失われてしまう。

母の女学校時代の友人K林Y子さんはそのホテルのお嬢さんだった。母はホテル内にあった彼女の家に遊びに行ったことをよく覚えているという。昭和15年、16年頃、母が12歳、13歳頃のことだ。1階はお店が並んでいて、2階部分の端が住居になっていた、階段を上がると迷路のような暗い廊下が続いている、お菓子をご馳走になったりして、彼女の部屋で一緒に遊んだという。しみじみ懐かしい、Y子さんともいつしか疎遠になってしまった、と母。

このあいだ「理科ハウス」のある逗子に行ったが、逗子には「なぎさホテル」があった。大正15年に創業したホテルが、もう20年も前に廃業していたということを知ったのはつい最近だ。「なぎさホテル」は若い頃とても気に入っていて、よく出かけたものだ。戦後の青春映画の舞台にもなったという。ホテルのレストランでカレーライスを食べて、一日じゅう海を眺めて東京に帰ってきた。

母の思い出の「京品ホテル」私の思い出の「なぎさホテル」……イギリスには美しい亡骸のようなホテルがたくさん残っていた。ほの暗い廊下に敷かれた赤い絨毯の上を歩くと、百年前、同じようにここを歩いただろう人々の微かなざわめきが聞こえるようだった。

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