『雪国』・川端康成
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった……小説『雪国』の冒頭である。季節は初冬、島村は越後湯沢温泉の芸者、駒子のもとへ向かう汽車のなかで葉子に出会う。通路をへだてた席で病気の青年の看病をする葉子の姿が、夕闇を背景に汽車のガラス窓に浮かび上がる。葉子の顔のただなかに野山のともし火がともる……『雪国』は若い頃に繰り返し読んだが、この年になってまた読むと、この小説のただならぬ魅力に惹きつけられる。物語は、葉子が燃えさかる繭蔵の高みから落ちたところで終わっている。気を失った葉子を胸に抱えて戻ろうとする駒子は、まるで自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見える。葉子は駒子の化身、もしくは精神、内面ともいえるもうひとりの駒子なのだ。作者自身も「駒子は実在するが葉子は実在しない。葉子は作者の空想である」といっている。青年は病死し、葉子は狂気に陥り、やがて島村と駒子の別れがくる。芸者駒子に対する島村の愛は憐憫である。駒子の自分への愛情を美しい徒労のように思う時、島村自身も空しさに襲われる。それでもなお駒子の生きようとする命が熱く迫ってくると、島村は、駒子を哀れみながら自らをも哀れむのだ。貧しく美しい者に対する憐憫はそのまま自己憐憫へとつながる。この小説の全編に降り積もる見えない観念的な雪。登場する人々も冷たく凍えた心を抱えながら温もりを求めている……東京も、今夜は予報通りの雪になるのだろうか。
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