つれづれなるままに

2017年8月19日 (土)

地震・雷・火事・おやじ

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「地震・雷・火事・親父」という言葉をふと思い出した。外はものすごい雷雨だ。窓ガラスを打つ雨がピチピチと異様な音を立てているのでよく見ると、雹が混じっている。雷は天上高く駆け巡り、雷鳴は少し遠のいたかと思うと頭上から落下し、稲妻は薄暗い部屋のなかを一瞬青い閃光で染め上げる。今年の夏はじめての激しい雷雨だ。

ところで「地震・雷・火事・親父」なんていう言葉は、今の子どもたちは知らないだろう。地震や雷や火事は今でも確かに恐ろしい災害だが、昔は「おやじ」の存在も災害みたいなものだったのだろうか。確かに、災害そのもののような「おやじ」もけっこういた。ひどいおやじは徹底的にひどかったが、この言葉はそういう意味ではない。おやじは一家の主人で特権がありコワイ人だったのだ。なかには横暴で我儘で身勝手なおやじもたくさんいただろう。今もいるかもしれないけれど、そういう人は家族から評価されないし、まずとても少ない。今は昔のおやじみたいに威張っていたら生きていけない世のなかなのだ。それにしても、ひどい雷雨……。

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2017年8月14日 (月)

誕生日

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誕生日祝いにスペイン料理を堪能

*写真は修善寺のO・F・ホテルの花のサラダ

 

夏がきてまたひとつ年をとった。子どもの頃の誕生日は、ただ晴れがましくて嬉しくて、はやく大人にならないかなぁ、と思っていた。青春時代は誕生日というだけでなぜか無性に感動的、流されていく陶酔感のようなものがあった。30歳代中ごろから、希望や願望とともに、節目として過去の反省なども加わった。そして今は……さしたる感動も願望もなく、かといって反省してみても手遅れなので反省もいい加減。

でもよくよく自分の心に聞いてみると、たったひとつ、これまでになかったものがある。それは私なりの使命感だ。生きることは尊い。なぜならひとつの生命は他のたくさんの生命に支えられているのだから。私たちの日常生活は、動植物の生命を犠牲にして成りたっている。人間だけではない、地球上のすべて、どんな生き物も他の生命を吸収しなければ生きていけない。

そう…だから、生きている限り、私のささやかな使命に忠実であれ、そして感謝して生きよ、と……誕生日のひとりごと。

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2017年6月 8日 (木)

風呂場解体

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写真は山のホテルのつつじ

 

風呂場をシステムバスにすることにした。

この風呂場を作ったのは、1980年代の終わり。タイル張りの壁や床は、戦前の名残をとどめた老舗旅館のモザイクには及ばないが、今や家のなかで最も「旧館」となってしまった。当時のタイル職人Aさんの仕事ぶりは素晴らしく、縦に横にピンと細い糸を張って、小さなラジオから流れてくる流行歌を口ずさみながら、手際よくタイルを貼っていた。タイルはホウロウの湯船の色と合わせて薄い緑色、高窓の下に、イタリアから買ってきた装飾タイルを嵌め込んでもらった。

ここを作った時、子どもたちは小学5年生と2年生だった。私は最初に、お風呂の掃除は彼らの仕事、と決めてしまった。子どもたちには、毎日責任を持ってやる勉強以外の「仕事」が必要ではないかと思ったのだ。息子たちは交代で一生懸命に掃除し、子どもにしてはとてもきれいにやっていた。雨が降ろうが槍が降ろうが、もちろん試験だからといって私が代わって掃除するということはなかった。これは1995年に転勤で家を離れるまで6年間続いた。上は高校2年、下は中学2年になっていた。

28年前に作った風呂場だが、10年ほど転勤で家を離れていたのでその間は使っていない。まぁ時々、息子たちがシャワーぐらいはしていたかもしれないが。釜は一度取り換え、途中で温風機を付けた。

小さな高窓に、春は桜の花びらが舞い込み、夏は蝉時雨が反響し、秋は虫の鳴く声が忍び込み、冬は木枯らしが窓ガラスを打った。私たちのささやかな歴史を刻んだ風呂場。家族の精神的文化財は明日取り壊される。

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2017年4月15日 (土)

羽田空港までのタクシー

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写真は芝離宮の桜

 

先日、見送りのために羽田空港にいった。前日に予約したタクシーは、約束の時間の15分前から家の前で待っていた。出ていくとさっとトランクを開けてくれたが、荷物がないというと少し驚いたようだった。丁寧な態度で座席に促され、乗車してすぐシートベルトをするように言われ、運転手は礼儀正しく自己紹介をした。「羽田空港の国際線ANAの搭乗口にお願いします」というと、運転手が「高速で行きますか」と訊ねたので、私は「そうですね」と何気なくいい、「環七からですよね」と付け加えると、運転手は、「環七より高速の方が早いですよ」という。私は地理には疎いので、何が何だかよくわからないまま車は出発し、雨のなか、戸越から首都高速に入り、あっという間に目黒を過ぎたと思ったら、やがて左手に東京タワー、そしてトンネルを走り、なぜかレインボーブリッジを渡りお台場へ……いったいどこを走っているの?もしかして成田と間違えているのかしら、と思って急に不安になったが、やっと羽田空港方面の案内板が見えた。その時点でメーターは7000円。いつも我が家から羽田までは車なら30分弱で着き、料金は4000円もしないと記憶していたので(ネットでは予想金額は3850円とあった)、さすがの私も何だかおかしいと思ったが、そうしているうちにやっと羽田についた。到着すると運転手はすぐに運転席をでて、車の後ろを回ってさっとドアを開けてくれた。支払った金額は高速代と迎車料金を入れて10660円、かかった時間は45分ほど。とにかく遅れてはいけないと急いで傘を畳んで空港の建物のなかに入り、案内所で「ANAの国際線はどこから出るのですか」と聞くと、「ここは国内線ですよ」という。私はそれを聞いていきなりものすごく腹が立ってきた。国内線と国際線はかなり離れている。でも、9時には搭乗口から入ってしまうと思うとパニックになり、「タクシー乗り場はどこですか」と聞くと、バスがあるという。外に出るとすぐにバスがきてバスに乗るとすぐに出発したので、10分ほどで国際線乗り場に着いたが8時40分ぐらいになってしまった。その時点では本当に怒っていたので、帰宅したらタクシー会社に電話しようと思っていたのだが、家に帰って昼寝をして起きたら、何だか面倒くさくなってやめてしまった。

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2017年1月 8日 (日)

宴のあと

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旗が岡神社

 

クリスマスもお正月も賑やかに過ぎた。静まり返った家のなかを見まわし、今後のことをぼんやり考える。

毎年、この時期は眠れない。いくら遅く寝ても必ず明け方の3時半に目が覚めてしまう。これは夏も同じだ。夏と冬は夜の闇が深いように感じる。深い闇の底へ落ちてゆくような眠り……それは春や秋にはない気候や気温による物理的要因によるストレスなのかもしれない。いくら室内の温度を調節しても、身体に感じる気温の違和感はごまかすことができない。

けれども眠れない原因は、どちらかというと物理的なものより精神的なものにあるような気がする。眠れない、ということは辛いことだ。眠れないと、つまらないことを考えはじめるからなお眠れない。ふと目覚めた深夜、次第に意識がはっきりしてくるとともに、よみがえるさまざまなできごと……、でもそんなとき、明るく前向きに物事を考えることは難しいだろう。苦しかった思い出、悲しいできごと、仲違いしてしまった人たちのこと、さまざまな心配。やがて明日の希望も潰えて、行きつく先の死を無意識のうちに思い描く。

だから私は目が覚めるとすぐに明かりをつけて本を開く。目が覚めてしまったら無理に眠らなくても良い。目が疲れてしまったときはラジオを聞く。おおかたラジオは面白くないが、それでもどうにもならないことを考えているよりましである。昨日は原田康子の短編集をひろげて『愛しの鸚鵡』と『海を射つとき』を読んだ。

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2016年9月29日 (木)

……というふうに考えています

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……というふうに考えています、というふうにわざわざ言わなくても良い、というふうに考えています。これじゃ、何が何だかわからない。

テレビをつけると、出演している人たちばかりではなく街頭インタビューを聞いていても、面白いほどみな同じ口調だ。

「私は、こちらの方が良いというふうに考えています」などという必要はなく、「私はこちらの方が良いと思います」と言えばいい。まるで自分の意見に自信がないように聞こえる。

反対に、テレビで政治家の演説を聞いていると、「…建物を建設をし…」「…会議を設置をし…」などと、小学生の国語のテストなら、バツである。「…を」の連発で、ひじょうに聞き苦しい。こういう日本語は押しつけがましく、どこか軍国主義的な雰囲気があるし、下手な英訳みたいにも聞こえる。

さらに尊敬語や丁寧語の使い方がめちゃくちゃだ。本人は丁寧に言っているつもりでも、視聴者に失礼だということがあるのだが、本人は気づいていない。一番気持ちが悪いのは、テレビで「……してくださいませ」というオジサンである。「……ませ」は、オバサンの言葉だ。

私ばかりではなく、テレビの日本語を聞いていると嘆かわしい、と思う人たちもたくさんいるのではないだろうか。英語を話すことも大事だが、まずは母国語がきちんとできなければ……。「美しいフランス語を話すことは、フランス人にとって何よりの財産だ」といったのは、モーパッサンだったかしら。

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2016年9月 2日 (金)

保育園の敬老会・1

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我が家の網戸にとまった蝉

 

毎年9月は2回ずつ保育園の「敬老会」によばれる。長男の上の子が2歳で保育園に入ってからだから、もう8年間敬老されている。でも、それも今年で最後、下の子どもたちも、保育園を卒業して来年から小学生になるからだ。今日は次男の下の子の保育園へ。いつものように入って行くと、受付に孫がいて私を見てほっとした様子。まずは子どもたちと、けん玉やあやとり、折り紙などをして遊ぶ。私は何人かの子どもたちに見せようと、小さい鶴を折りはじめた。最初に半分に折りたたんでさらに半分に折る。……あら、これからどうするのだったかしら……5秒ほどして、極度の困惑の末に思い出したが、鶴の折り方を忘れるなんて、と我ながらショックを受けた。もう何年も折っていなかったが、自然に手が動いて当たり前だ。それなのに、いったいどうしたわけか一瞬わからなくなってしまった。ついに深刻な老化が始まったのか。これはいけない、はやくやるべきことをやらなければきっと後悔する……と思ったが、もともと能天気なのですぐに忘れてしまった(それも老化か)。そのあと、講堂で子どもたちは歌を歌い(「100歳の歌」というのが面白かった)、ふたりのスーパーおばあさん(水泳でメダルをもらった方とピアノで弾き語りをしたシャンソン歌手、多分おふたりとも私より年上)が紹介された。子どもたちが作った記念のコースターをもらって帰る。

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2016年6月23日 (木)

そんな気持ち

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今年も咲いた八重のドクダミ

 

だいぶ前だが、幼い孫娘が保育園のお誕生日会で、先生から「大人になったら何になりたいですか」と聞かれて「アイドル」と答え、参観していた母親(daughter-in-law)はびっくり。「昨日は、全然違うことを言っていたのに、いったいどうしたんでしょうね」とdaughter-in-law

そういうこともあるのだろう。私にも覚えがある。小学2年生の頃だ。自分が将来なりたいものの絵を、たとえばお医者さんならお医者さんの絵を描きなさい、という……多分、図工の授業だったのだろう。私は将来何になりたいかなんて全然考えたこともなかったし、なりたいからなれるというものでもなく、なれないものになりたがっても仕方ないわけで、つまるところ、自分は母のようにしか生きられないだろうと無意識の諦念と安堵のうちに成長していたのだろう。

それなのに、私が描いた絵は「女優」だった。最も考えられない職業、最も関心のない職業なのになぜなのか、それはただ「女優」を描くことが一般的であり、それが答えとして当たり前(正解)なのではないか、と思ったのだ。女の子は華やかな美しいものに憧れるものだ。バレリーナとか女優とか歌手とか……。私は子ども心に歌と踊りは全く駄目だということに気付いており、そこで「女優」ということに……。でもそんな風に大人に媚びたのは私だけだったらしく、男の子たちは警察官や消防士、女の子たちは先生や看護婦さんなど、現実的な「正しい」選択が多く、私はちょっと恥じ入ったりしたものだ。だから、孫娘の思わず口にしてしまった「アイドル」も、分かる気がするのだ。

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2016年4月11日 (月)

野蕗の煮物

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桜も散った。道に散り敷いた花びらの掃除がたいへんだ。桜もただ美しいばかりではない、生きているのだから。

土曜日は最後の桜を愛でようと息子たちの家族が久しぶりに集まる。私は朝から庭に出て野蕗を採る。よく洗って、太いものは筋を取って下茹でしてから、油揚げとタケノコと一緒に薄味で煮る。ご飯にも桜の塩酢漬けとタケノコをまぜて、もち米とうるちと半々で炊いた。春の味。

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2014年9月30日 (火)

横丁のおでん屋

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このあいだ、恒例の大学同窓会のあと、タムタムに連れられて渋谷の某横丁のおでん屋にいった。私たちくらいの年恰好のママがひとりでやっていて、5、6人座るといっぱいになってしまうような小さな店だ。2階に続く細い急な階段には、段ボールや紙袋に詰まった荷物が山と積んであり、黄色くなった名刺が、壁に重なり合うようにピンで留めてある。暖簾をくぐると、3人ほどの若者が座っていた。3人とも20歳代半ばで、カップルとその友人の女の子のようだった。カップルの彼女のほうは英語が上手で、聞けばカナダに留学していたという。まだ9時前だったが、ママはそうとうでき上がっていて、私が何気なく「このお店は、何年ぐらい続いているんですか」と聞くと、「うるさいねぇ、この女は!」といわれたので、びっくりしてのけぞってしまった。それでも、ビールを自分のコップに手酌でつぎながら、「ここは私の母親が70年前に始めた店、このあたりはみんなやくざの店だからね」などと自慢そうに話す。食べ物はおでんだけで他には何もない。しかも、もう売れてしまったのか、真っ黒なお湯の中に数えるほどのさつま揚げとこんにゃく、それにぐちゃぐちゃになった大根が泳いでいるだけ、そんなおでん鍋の中に、ママの震える手で出される焼酎のお湯割りがたらたらとこぼれたりしている。まぁ、趣があるといえば確かにそうだが……渋谷は数年前から再開発中だ。あと何年かすればこんな横丁も様変わりしてしまうのだろう。

そういえば、今は、跡形もなくなってしまったが、私の学生時代には、渋谷の井の頭線ガード下に小さな飲み屋がずらっと並んでいて、横丁を通る人たちに「社長!今なら席があるよ」などと客引きが声をかけたりしていた。通る人すべてが「社長」だった。何だかやけに眩しい電球の下で老若男女が焼き鳥を食べながら、梅割り焼酎やビールを飲んで大声でしゃべっていた。梅割り焼酎は、まず、底に梅干しが入っている細身の小さなガラスコップが白いお皿の上に乗せられてくる。それに熱い焼酎が注がれると、何ともいえないツンとした匂いがたって、妙に侘しい気分になったりしたものだ。私も学生時代に、時々そんな横丁で飲んだりしていたが、若い娘がとんでもない、と思う人もあっただろう。しかし、若くなくなっても同じようなことをしているのだから、もっととんでもないのかもしれない。

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