絵画

2018年2月21日 (水)

モネのしだれ柳

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クロード・モネの絵といえば睡蓮かもしれないが、ジヴェルニーの庭の睡蓮池の畔には、しだれ柳が植えられていた。Weeping Willow(しだれ柳)は、 18世紀初めにヨーロッパに持ち込まれて以来、ずっと死と服喪の象徴だった。それはしばしば女性として擬人化された。私にとって、「柳」は子ども時代の「銀座通りの並木」なので、幼いころに沁みついた明るくて洒落たイメージがあるのだが。
モネが影響を受けたという1847年に刊行された挿絵画家のJ・J・グランヴィルの『擬人化された花』のなかの散文詩の一節。
Come into my shade, all you who suffer for I am the Weeping Willow.
私の影にお入りなさい 苦しむ人々はみな、私はしだれ柳なのだから・ 私は小枝のうちに優しい顔の女性を忍ばせている・彼女の金髪は額にかかり 涙に濡れた目を覆う・彼女は愛した人すべての無言の想い・……彼女は死に触れられた人々の心を慰める
もうひとつ、モネに影響を与えたアルフレッド・ド・ミュッセの1835年の詩『ルーシー』
親しき友よ 私が死んだら・墓に柳を植えて欲しい・私はその嘆き悲しむ小枝が好きだ・その青白さはなんと心ひかれることか・そしてその影は優しく・私が永遠に眠る土の上に
しだれ柳は、ミュッセが1857年に他界した時、実際にペール=ラシェーズの墓のそばに植えられたが、19世紀のガイドブックには、この「有名な柳」(多分、当時はフランスで最も有名な木だった)は、しばしば旅行者によってその葉や枝が持ち去られ、丸坊主になっていたとあるそうだ。

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2012年3月 7日 (水)

ダン・シュレシンジャー

ひと月ほど前、画家のダン(ダニエル)・シュレシンジャーさんから久しぶりにメールがきた。「お元気ですか。今、あなたは多分、東京ですよね…」という書き出しで、ヴェニスを描いた絵画展の案内と、ホームページの紹介もあった。ホームページにはとても素敵な絵が並んでいる。ダンさんはハリー・ポッター訳本の表紙絵で有名な画家、ロンドンでご近所に住んでいて、我が家にもいらしたことがある。ダンさんの絵は私の拙著『チップス先生の贈り物』の表紙にも使わせていただいた。
ダン・シュレシンジャー・ホームページ
心温まる素敵な絵です。是非、開いてみてください。

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2011年8月24日 (水)

八重のドクダミを描く


 この夏、珍しい八重のドクダミを見つけた。
 私はドクダミの花の白十字架が好きなのだが、八重のドクダミは想像を越えた美しさだった。茎も葉も全く同じだが、花びらだけが重なっている。
 あまりに愛を感じてしまったので、スケッチをして、日本画に描いてみた。

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2010年1月19日 (火)

川畑武徳・虎の図

今年は寅年だから、というわけではないが、先日、日本画家の川畑武徳の『虎の図』を観た。今にも画面から飛び出してきそうなほどの迫力だが、よく見るととてつもなく繊細で、毛の一本一本まで糸のような細い線で描かれている。この虎の絵はひと月ほど前に完成した新作だ。川畑画伯は92歳、伊豆の山荘で今も仕事に励んでいる。画伯は妹の夫の父、妹が尊敬する舅だ。

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2008年11月 1日 (土)

奥村土牛

『百寿を越えて』と題した、奥村土牛、小倉遊亀 片岡球子と、百歳を過ぎても画業に勤しんだ3人の画家の特別展(山種美術館)を見た。なかでも圧倒的に奥村土牛の作品が多い。多いというより、殆んどが土牛の作品だ。

奥村土牛といえば、息子さんでカメラマンの奥村勝之さんのことを思い出す。知人に連れられて我が家に見えたのだが、当時土牛さんが亡くなられたばかりで、相続税のことでとても苦労されていた。『相続税が払えない~父・奥村土牛の素描を燃やしたわけ』という本も出版していた。奥村さんが持っていらした土牛の墨絵風の牛の絵がとても素敵で、欲しいな…と思ったのだが、まだ若く余裕がなかった。かわりに、というわけではないけれど、竹内栖鳳の冬景色を描いた版画を頂いた。

しかしながら絵画の価値とはいったい何だろう。絵が本当に気に入って買う人ばかりではない。画家の名前だけで買う人もいるだろうし、投資のつもりで手に入れる人もいるだろう。そうして作品だけがひとり歩きしてしまうのだ。そんな固定されてしまった社会的価値によって、ちょっとした素描画にまで税金をかけられてしまったら……遺族には大変なことかもしれない。

山種美術館は速水御舟の重要文化財『炎舞』をはじめとする、素晴らしいコレクションで知られているが、入口近くで客の対応をする数人の若い女性の、揃いもそろっての威丈高な態度には仰天した。

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2008年10月 5日 (日)

『東京展』を見た

幼馴染のY子のお兄さまは画家、村岡千穐氏。WSK学部在学中、妹(Y子)の宿題のデッサンを手伝ったことから本格的に絵を描きはじめ、ついに人生航路を変えたという方だ。今回、『東京展』で最高賞を受賞されたというので、Y子と一緒に上野の「東京都美術館」に行った。中国の写真を上手に使った知的センス溢れる素晴らしい作品、さすがだ。

同じ階に絵本のコーナーがあった。丁寧に作られた手作り絵本が並んでいる。そのなかのふたつが印象に残った。

まずは『血のレストラン』。真っ赤な手染めの薄布で覆われた表紙を開けると、夕暮れ時の森陰に血のレストランが開店する。今夜のお勧めは小さな女の子の血で作ったスペシャルドリンク。暗くなるに従って老若男女うちそろってやってきてレストランは大繁盛。これからどうなるんだろう……とページをめくっていくうちにやがて森の下草のなかで蚊にさされて痒くて泣いている女の子が…。ちょっと怖い、気味が悪いということは、子どもにとって魅惑的、それなしに子供の夢を育てることはできないのかもしれない。

もうひとつはお母さんが大嫌いという内容のもの。表紙に母親と女の子が盛装して撮った白黒写真が貼ってある。ページをめくると次々と飛び出してくる母親への不満。何もかも型に嵌めようとした、やりたいことをさせてくれなかった、悲しい時も嬉しい時も気持ちを理解してくれなかった…そして、お母さんは私を生んで幸せだったの、という問いかけで終わっている。これを読んで子供はどう思うだろう。例えば、お母さんが自分を道端に捨てたとか、ご飯を食べさせてくれなかったとか、極端にいって身売りさせられたとかなら、怨みも大きかろうと思うが…。お母さんは自分を理解していないようだったけど、やっぱり私を愛していたんだね、大人になって分ったよ、という終わり方ならノーマルだけど…。「大嫌い」といい切ってしまうのもいかがなものだろう。何しろ絵本なんだから、もう少し優しくてもいい。

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