不思議な話

2017年10月14日 (土)

ピラミッドなのか雨乞い遺跡なのか

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キリストの墓の傍に「大石神ピラミッド」がある。そこもまた「竹内文書」に記されている場所だ。それによれば、「日本にはエジプトのピラミッドより古いピラミッドが7基ある」とのことで、これがその一つだという。ピラミッド説はちょっと無理があるなぁ……とも思うが、なかなか神秘的な場所で、飛鳥をはじめ日本のさまざまな場所に見られる一種の巨石文化の遺構ではないのか、と私はここでも妄想に囚われる。ここは一説には雨乞いをした場所ではないか、ともいわれているらしい。もしかしてゾロアスター教の…などということはまずないだろうが…。それにしても、一枚の大岩が自然に割れたとは考えにくい。周囲に岩は見当たらない。でも……昔は岩がごろごろしていたのかもしれないし、それが人によって片付けられたのでは、などと疑ってみる。とにもかくにも、私にとって、そこはキリストの墓よりもなお興味深かった。小高い土盛りの上に大きな岩が点々ところがっている、それだけで心が騒いでしまう。

そうこうしているうちに、空模様が怪しくなってきたので、雨になる前に夕飯に何か買わなくてはと、「岩場」を下りて「役場」の方へ向かう。店は少ない上にほとんど閉まっていて、やっとヤマザキの看板のあるよろずやを見つけて、夕食用と翌日の朝食用おにぎりを買い、温泉会館に戻る。温泉に浸かり(温泉はとても良い)、物産館で買ったとうもろこしと梨とヤマザキのおにぎりを食べ、二人でいろいろ積もる話をして11時ごろ就寝。

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2017年10月13日 (金)

キリストの墓

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長い間行ってみたいと思っていた青森県の新郷村。私の変わった趣味にいつも付き合ってくれるのは高校時代の親友A子。彼女とは50年前からニューギニアにいく約束をしているのだが、まだその約束は果たされていない。東北新幹線には初めて乗ったが八戸まで3時間あまり、信じられない速さだ。

途中、物産館に寄ったり食事をしたりして新郷村に着いたのは午後3時頃。まず、A子が予約してくれた新郷村温泉会館に行って荷物を下ろしたが、温泉付き素泊まりの施設で、なんと一泊2800円。自分で布団も敷かなければならない。新郷村の宿泊施設はそこしかないといっても、本当に大丈夫だろうかと怪しみつつ、それでもまずはキリストの墓へ。

車を降りて、らせん状の坂を上って行く。丘の上には土饅頭が二つあり、それぞれ「十来塚」と「十代塚」と書かれ、木の十字架が立っている。それがキリストとキリストの弟イスキリの墓だという。「21歳で来日したキリストは33歳でユダヤに帰国し、布教活動をしたが捕えられて磔刑に処せられたとされるが、実は弟のイスキリが身代わりとなったもので、キリストはその後再び来日し、106歳まで生きた」と、説明板にある。これをばかばかしいと一笑に伏すにしては、あまりにも興味深い。

なぜこの村にキリストの墓があるのか。これは、昭和初期、茨城県にある皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)の管長、竹内巨麿(きよまろ)が興した天津教に関係があるらしい。天津教は、「神武以前の天皇の血統が人類の祖先となって世界を統治していた」とするもの。天津教は、当時の国民意識の統一と国威発揚を目ざした軍国主義の方針と相俟って、多くの信者を抱えた新興宗教だった。竹内は皇室に対する不敬罪の容疑で逮捕されるが、結局無罪になる。天津教の経典のような「竹内文書」には、キリストもその範疇にある(天皇の子孫ということ)とされ、キリストの遺言まで記されている。それにしても「竹内文書」と呼ばれる古文書は面白い。もちろん古文書ではなく捏造されたものには違いないのだが、とにかくその奇想天外な物語は、まるでイギリスの宗教的ファンタジーのようだ。

それにしても聖書にはないイスキリという弟がいて、キリストの身代わりになるなどというところは、まったく日本的だ。西洋では主従関係での身代わりは美化されているようだが、兄弟は往々にして仲が悪いものなのだ。とにかく、書いたのは教祖自身なのだろうが、最初に新郷村に目星をつけておいて、物語の構想を練ったのか。でも、なぜこの新郷村(旧戸来村)に焦点が当てられたのだろう。特徴のある風習、方言の強い言葉などが都合の良いように解釈されたのだろうか。私としては……江戸末期ごろにキリスト教の宣教師(多分、青森ならロシア正教だろう)が布教のためにこの山深い寒村にきて、何らかの原因で命を落としてしまった、村人たちは宣教師を葬ったが、長い年月の間に宣教師はキリストとして祀られて……などと妄想するのだが、多分そんなことなども、ないのだろう。結局、すべては作られたもの。どんな村にも地形的には小高い丘も平坦な場所もある。

いずれにせよ昭和初期、青森県の山村で始まった騒動は、今や、大々的なお祭りにまで発展し、6月には多くの観光客を集めるという。この村に伝わる盆踊り歌「なにゃどらや、なにゃどなされの、なにゃどらや…」は、ヘブライ語で歌われる古代ユダヤの軍歌に酷似しているという説がある。けれども、民俗学者柳田国男は女性が男性に呼びかけたもので「なんなりとおやりなさい…」などという意味だと解釈している。私としては、農耕民族の収穫祭に相応しい柳田説に説得力があると感じるが、ヘブライ語説はまた別の意味で楽しい。

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2013年9月14日 (土)

金魚 その4


写真は横腹に白が混じった金魚


今年も孫たちと一緒にお祭りに行った。去年と同じ場所に店を出している「金魚すくい」で今年は孫たちが挑戦。でも残念ながら失敗。店は小学生の男の子が手伝っていて、「ほら、はやく600円貰って」などと母親らしき人にいわれている。金魚は細長い箱のなかでうろうろと逃げ回っている。黒い出目金や尻尾の長いぶちの和金、まったく普通の赤い金魚などさまざまだが、よく見ると、どこか欠点のある金魚ばかり。きっと美しい金魚は金魚屋さんに買われ、商売にならないものは大きな魚の餌にされるか、捨てられてしまうか、またはこうしてお祭りの露店で細長い箱のなかで追いまわされる運命にあるのだろう。子どもたちがもらった金魚もあまり美しいとはいえないぶちと、一見鮮やかな朱色だが、横腹に白い痣がある2尾だった。結局、私が預かることになり家に持ち帰る。まずは、それぞれ別のバケツに入れて様子を見ることにする。どちらかに病気があるとうつってしまうかもしれないからだ。餌を撒いても、最初は2尾ともまったく食べなかった。食べ方を知らないのかしら…と思う。そのうちぶちの金魚が狂ったようにジャンプし始めた。バケツから飛び出したら死んでしまうので覆いをする。翌日は水底にじっとしていて眠っているようだった。5日ほどすると2尾とも落ち着いたので金魚鉢に移した。

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2013年9月 5日 (木)

金魚 その3

 風に乗って幽かに聞こえてくる祭囃子……あっという間に1年が過ぎた。去年のお祭りで買った金魚は、倍の大きさになった。5日に一度、金魚鉢を洗って水を取りかえる。死んでしまった白い金魚の分まで元気で、毎朝、私が傍にいくと落ち着きなく騒ぎはじめ、大きな目を見張って私の姿を追ってくる。餌をひとつまみ撒いてやると、オーストラリアのジャンピング・クロコダイルみたいに、水面から飛び上がって喰いついてくる。どことなくミステリアスな個性的な金魚で、とっても可愛いなぁ、と思って見ている。金魚1匹でも、1年も一緒に暮らしていると家族の一員、私の顔を見ながらぶくぶくと泡を出して、まるで何かしゃべっているみたいだ。

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2012年10月 1日 (月)

金魚・その後

 先週土曜日は孫の運動会だったので、お弁当を作って出かける。
 2週間ぶりに会った孫が、白い金魚が死んじゃったんだよ、と残念そうにいう。よくよく話を聞いてみると、私が午睡中に、白い金魚が飛んできた夢を見た日のようだ。不思議なこともあるものだが、偶然だろう。それにしても、今もはっきり思い出すことができる。尾びれが長くてひらひらして可愛い赤い斑点がついていた。それがふわりふわりと飛んでいたかと思ったら、すーっと赤い金魚に向かって下りていった。
 白い金魚の魂が、今わの際に赤い金魚に会いにきた、などと思うのは、いくらなんでもばかばかしい。それなのに、あの2尾は特別な関係だったのだろうかなどと考える。それは本人たちにしかわからない。何も話してくれないのだから…。

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2012年9月28日 (金)

金魚

 今月半ば、お祭りだというので、孫と一緒に近所の神社に行って金魚すくいをした。「まかせなさい」と腕まくりしたものの一尾も取れなくて、孫たちの尊敬を集めることはできなかったが、金魚屋さんが2尾、白いのと赤いのを小さなビニール袋に入れて持たせてくれた。白い方は孫が持って行ってしまったが、赤い方は金魚鉢に入れてサイドテーブルの上に置いた。孫に教わったように、朝と晩にえさをやる。そのうちに何だか情が移って可愛くなってきた。妹が「まさか、おばさま、なんて金魚が囁いたりしないでしょうね」というので、「いくらなんでも、室生犀星じゃあるまいし」などと応えていた。
 このところ夏の疲れが出たのか、なかなか体調が元に戻らない。昨日もソファーでうとうとと午睡していたら、白い金魚がどこからかふわふわ飛んできた。私の回りを蝶々みたいに飛び回り、サイドテーブルの上に置かれた金魚鉢のなかにすーっと降りて行ったところで目が覚めた。きっと赤い金魚に会いに来たのだと思って、急いで金魚鉢をのぞいたが、やっぱり赤い金魚しかいなかった。

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2011年11月 5日 (土)

 夜なかに夢の中で目が覚めた。まず感じたのは、大変だ、昨日は約束していたことがあったのにすっかり忘れていた、という焦りだった。一昨日*さん(誰だかよく分からない)と、翌日(昨日)私たちが卒業した高校で選挙の投票があるから、*時に待ち合わせようということになり、私は*さんが来るまで会場の入り口で待っているからね、と約束をしたのだった。それをすっかり忘れていた。どうしよう、どうしよう…と困惑しながら意識の大海原を漂っていた私が、突然冷たい砂浜に打ち上げられて目が覚めた。
 そうして思い出したのは一昨日の夜にみた夢だ。まさしくその約束をした夢をみたことを思い出したのだ。何だか頭のなかがこんがらかってしまい、ロボットみたいに「故障です!」などと言いながら首から上の電気が点滅しているんじゃないかしら…そんなこんなで何が現実だったのかしばらく分からなかった。
 しかし本当にそんな夢をみたのだろうか。それにしてもここまではっきり一昨日みた夢だと分かるのだから、やっぱり本当にみたのだろう。2日前の夢の続きを夢で見る、などということはあるのだろうか…私がみるくらいだから誰にでもあるのかもしれないけれど…。

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2010年6月17日 (木)

不思議な梅の木

 今年も梅の季節になった。母の家の狭庭に梅の木がある。毎年、梅雨の晴れ間に私も妹もかりだされて実を採るのだが、けっこう大きな木にたくさん成っているので大変だ。脚立を持ってきてそれでも届かない時は、はしごに上ったり…。梅酒にしたり梅干しにしたりしてもまだ余ってしまう。一昨年はとうとう母が、梅の木の幹を軽く叩きながら、「もうあと2、3年はお休みしていいわよ」といったものだ。そのせいかどうか、梅は急に実をつけなくなって、去年も今年も一粒も成っていない。
 以前、知人が同じような話をしていた。庭の梅に毎年たくさん実が成って始末に困ってしまったので、梅の木に向かって「来年は一粒もいらないわ」といったら、次の年、本当に一粒も成らなかったそうだ。樹木は何でもわかっているのかもしれない、不思議なことだ。

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2008年10月18日 (土)

不思議な太い指

稲垣足穂の詩集(とはいっても掌編集のようなもの)を読んでいたら、何にどう触発されたのか、記憶の底に眠っていたある不思議な体験が甦ってきた。

私が4歳か5歳、とにかくとても小さな時分だったと思う。雪谷市場(今はもう壊されてしまった)の出口付近にあった魚屋の店先でのことだ。私は母の買い物についてきて、ぼんやりと母のそばで店の方を向いて立っていたのだと思う。……と、いきなり大きな手が私の頭をてっぺんから摑むと、ぐるっと回そうとしたのだ。髪の毛も強い力で引っ張られて、私は驚いて振り返った。でも、そこにそれらしき人はだれも見当たらなかった。周囲は買い物客で混雑していたが、人々は私からかなり離れていたし、そんな早業ができるなんてとうてい思えなかった。私は腑に落ちない気持ちでまたもとの姿勢に戻ったが、すぐにまた同じことがおこった。振り向いても誰もいない。何度か同じことがおきたのですっかり怖くなってしまい、くるりと道の方を向くと、じっと前を見つめていた。それきり何もおこらなかった。

そう、それだけのことだ。でも考えてみれば本当に不思議で、今でもその太い力強い指の感覚がこの頭の上に残っている。似たような経験をお持ちの方、いらっしゃるでしょうか。

それはそうと、「BK1」「楽天」「yahoo」で訳本が子供の本の売れ行き1位。「楽天」は週間でも1位(「崖の上のポニョ」や「ハリーポッター」を抜いて…です)でした。ホントかしら。図書館でもけっこう待ち人数が多くて、横浜の図書館などは13人待ち。有難うございました、嬉しいです。

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