短歌

2010年11月24日 (水)

『一握の砂』石川啄木

 石川啄木の歌集『一握の砂』をひもとく。盛岡の「啄木・賢治青春館」に行ったときに買った本だ。『一握の砂』は明治43年末に発表された。「我を愛する歌」から始まり「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人人」「手套を脱ぐ時」と続く。「我を愛する歌」は151首あり「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」は巻頭の1首だ。150、151首目の最後の2首が面白い。150首目「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にてみせなむ」151首目「やとばかり桂首相に手をとられし夢みて覚めぬ秋の夜の2時」伊藤博文と桂太郎、ふたりの首相を詠み込んだ歌だ。
 金田一京助が昭和27年に書いた解説に「篇末に…2首があって人々をあっと驚かしているが、啄木には吉井勇氏の言葉を借りれば「東洋豪傑風」のところ、あるいは、いわゆる志士という一面があって、それでこういう歌もあるわけである」とある。私個人としては、啄木の歌はあまり好きではないけれど、「東洋豪傑風」というのは興味深い。人々を感心させるほど新しい斬新な歌を詠んでいても、啄木は古典的思想をもつ典型的な明治男子だったということだろうか。因みに友人のUさんは桂太郎の曾孫にあたる。『一握の砂』にこんな歌があること、ご存じだろうか。

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2008年10月30日 (木)

Y短歌会と新美南吉の里

Y短歌会総会で名古屋に行った。歌会は2日にわたってホテルROで開かれた。参加者は殆んどが女性で殆んどが高齢者。80代の方も多いがしっかりしている。みんな新幹線で名古屋に来てホテルに泊まり、自分の歌を詠み他人の歌を批評し、ビール片手に四方山話、内容もすごくて有名な歌人との思い出話に花が咲いた。とっても素敵な歌会だった。

 ちなみに拙歌:

   風立ちぬ サマーローズをビンに挿し今宵祝宴赤き酒注ぐ

短歌会のあと、大学時代の友人Mさんと会う。ロンドンに会いに来てくれたのは5年前、それ以来だ。彼女とは入学式で偶然隣りに座った縁でずっと仲良くしてきた。卒業して名古屋の男性と結婚しふたりの子どもに恵まれて幸せに暮らしている。彼女はいつもの笑顔で「名古屋は高い建物がなくて、ほら、空が広いでしょう」と天を仰ぐ。東京生まれなのにすっかり名古屋の人になっている。「のんびりしているところが私に向いているの」とも。

名古屋郊外の半田に一泊して、彼女とふたりで新美南吉の『ごんぎつね』の舞台になった里山に行った。のどかな田園風景、遠く権現山が薄緑色にかすみ、穏やかに流れる矢勝川の土手にコスモスが揺れている。ひとりぼっちの子狐「ごん」が住んでいたとされる中山に「新美南吉記念館」がある。作家の一生が遺品やゆかりの品とともに詳しく説明展示されている。日記から恋文まですべてが公開されていて、みんな分っちゃう、まぁそれも作家の宿命なのでしょうけれど。

南吉は大正2年生まれ。わずか29歳で夭折した。4歳で母をなくし、8歳で母方の新美家の養子となるが、寂しさに耐えられず生家の渡辺家に戻ってくる。父は畳職人で下駄屋も営んでいた。16歳ごろから創作をはじめ『ごんぎつね』は18歳の作品。『手袋を買いに』は20歳、『デンデンムシノカナシミ』は22歳。(因みに私は晩年の作品『おじいさんのランプ』が好き。)23歳で東京外国語学校を卒業。教員をしたり杉冶商会でひよこの世話をしたりして、働きながら作品を書き続けた。何人かの恋人に出会うが病がちで結婚せず、咽頭結核でこの世を去った。…生きることを渇望し、書くことを切望しながら。

外は小春日和、色とりどりの帽子を被った遠足の小学生が草の上でお弁当を広げていた。

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