大田区郷土の会

2012年9月19日 (水)

『潮来花嫁さん』と伊能忠敬

 昨夜から久しぶりの雨。時おり雷を伴って激しく降る。春の終わりにも雷雨があるが、秋の始めにも雷雨がくる。何かが終わり何かが始まるとき、嵐が巻き起こる…自然は実に人間の心と同じだ。
 大分前になるが「郷土の会」で佐原へ行った。その日もあいにくの土砂降りだったが、水郷のあやめやしょうぶを見てから、花村菊江の『潮来花嫁さん』ゆかりのホテルで昼食。『潮来花嫁さん』は私が小学校低学年のころ大ヒットした歌謡曲。「花村菊枝は去年亡くなりましたが…」とホテルの人。
 『潮来花嫁さん』の歌詞は不思議だ。「潮来花嫁さんは舟で行く、夢を抱いて…好きなあの人東京育ち、…潮来花嫁さんは舟で行く、花の都へ…」花嫁さんの結婚相手は東京の人らしい。花嫁衣装を着て小さな舟に乗り、直接東京へ行くなどということは不可能なので、途中から電車に乗ったのだろうか。いくら歌でも相手が東京育ちというのはかなり無理がある。潮来の花嫁は「水路でつながった隣村へ嫁いでいく」というのが最も自然なのではないだろうか…などと考えてしまう。
 そのあと佐原へ。佐原は江戸時代にとても栄えた町だ。日本地図を作った伊能忠敬の家があるのだが震災の被害が大きくて入ることはできない。伊能忠敬は50歳で家督を譲って江戸へ出て勉強し、56歳から74歳で没するまで測量し続けた。昔の50歳はいまでいえば70歳近い感じかもしれない。なんて素晴らしい人だろう。佐原は江戸時代の面影を残していたが、瓦屋根の多くは破壊され、液状化もおこったという。あまり知られていないが、佐原も大きな被害を受けた町だ。

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2011年7月 8日 (金)

総持寺

 先月のとある日曜日の午後、大田区郷土の会主催の総持寺見学会に行った。鶴見駅を降りて坂を上って行くと見覚えのある山門が見えてくる。総持寺は曹洞宗大本山。法事で訪れた人々や見学者で混雑する正面玄関を入ると45年前の情景が幻のように甦ってきた。
 ……セーラー服を着た高校生の私が玄関に立っている。季節は秋。境内は紅葉に染まり人っ子ひとりいない。私は玄関で靴と靴下を脱いで下駄箱にしまい、若いお坊さんの後について磨き抜かれた長い廊下をひたひたと歩いて行く。裸足の足裏が冷えて、このまま異次元の世界へ入って行くようだ。誰もいない薄暗い座禅堂で、私は台に上がり壁の方に向かって座禅を組む。小さな窓の外に燃えるように赤い漆の葉が見える。静かにゆっくりと、まるで永遠のような時が過ぎて、太鼓の音が響き、幽かな読経の声がどこからか聞こえてくる。その間に何回か修行僧が入ってきて長い棒で肩を叩いてくれる……そう、確か毎週木曜日だった。確か座禅は45分間だった。
 宗教などまるで信じていない私、こう見えてもかなり合理的で現実的な私が、なぜ半年以上も、毎週、学校帰りにひとりで立ち寄っていたのだろう。「きっと素敵な若いお坊さんがいたのね」と一緒に行ったBさんにいわれたが、全くそのようなことはなくて、精神鍛錬をしようと思ったのか、宗教を頭で理解しようと思ったのか、単に誰にも知られていない行動をとることで秘密を持ちたかったのか、今となってはわからない。
 総持寺には現在150人の修行僧がいる。説明してくれたのは20代の若いお坊さん、恋人がお寺の娘で、寺を継ぐためにここで修業をしているということだった。

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2009年7月16日 (木)

貫前神社の雷神

貫前神社の雷神

上野国一之宮貫前神社に行った。珍しい配置の社殿で知られているが、一番興味深かったのは本殿正面破風の右寄りにある1(33)の小窓だ。屋根に近い高所につけられた窓には板がはめられ、俵屋宗達の筆によく似た雷神が描かれている。窓は雷の発生する稲含山の方角にむかって開いている。ここが面白い。

オーストラリアに住んでいるとき、アボリジニ神話に興味があり、いろいろと調べたり本を読んだりしたが、北(熱帯)のアボリジニのことごとくは雷を神と信じ、畏れ敬い、住まいとしていた洞窟や丘の上などの集会所に雷神の絵を描きつけた。雷と蛇は古代信仰にかかせないものだ。(太陽と蛇といえばピラミッドだし…)

自然に対する脅威こそ古代信仰の精神的背景だ。貫前神社の雷神は古代信仰ではないが、雷がやってくる山の方向に窓を開け、そこから神を招き入れるという、何とも積極的で分かりやすい、明るく健気な信仰心に私は心ひかれる。

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2009年6月15日 (月)

津久井道から生田緑地

「大田区郷土の会」に参加し始めて20年近くになる。その間何年も参加せず、会費だけを納め続けていた時期もあったが、ここ数年少しずつまた参加し始めている。

先日は津久井道から生田緑地を歩いた。長いお付き合いで気心の知れたBさんと待ち合わせて集合場所の登戸へ。たくさんの遺跡や文化遺産をN先生の説明で見学したが、印象的だったのは街道沿いの老舗「柏屋」と「内藤美保子の墓」だ。

「柏屋」は、農業のかたわら旅籠を営んでいたが、明治の末頃には料理屋を兼ねるようになり、多摩川でとれた鯰のスッポン煮が名物になって、東京から作家たちが訪れるようになった。昭和12年、巌谷小波が句会に招かれ、小春日や日本一の腹加減、と吟ずると、俳画家の飯田九一が鯰の絵を添えた。その句と絵が正面玄関にかかっている。

もうひとつの「内藤美保子の墓」は本遠寺にある。内藤美保子はシャンソン歌手越路吹雪のこと。生田緑地を見はるかす岡の斜面に夫の墓と並んで鎮まっていた。墓石には本名の内藤美保子ではなく越路吹雪と彫られている。本堂には遺品が並べられていた。もう亡くなってから30年くらいたつというが命日には今でもファンが集うそうだ。

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