旅行

2018年11月12日 (月)

ニューヨーク*NYフィルのコンサートとブロードウェイ

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リンカーンセンターのコンサート会場

ニューヨークフィルのコンサートに行った。会場のリンカーンセンターはオペラハウスやジュリアード音楽院などと同じ敷地内にある。開演は午後2時。指揮は、もとアムステルダム・コンセルトヘボウのコンマスだったヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。演目はルイス・アンダーソンの『Agamemnon・アガメムノン』(現代音楽)と、ストラヴィンスキーのバイオリンコンチェルト、同じくストラヴィンスキーの『Symphonies of Wind Instruments・風の楽器のシンフォニー』、それにドビュッシーの『La Mer・海』だった。私は風邪薬のせいでぼんやりしていたためか、どうやら「海」もぼんやりと霞んで穏やかな夕凪だったよう……。
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ブロードウェイ『キンキーブーツ』

ブロードウェイで子どもたちも一緒に『キンキーブーツ』を見た。古いイギリス風のシアター。これがブロードウェイね、ロンドンのウエストエンドの雰囲気とはちょっと違う、などとあたりを観察する。最初は、あまり子ども向きではない、女装した男性のショーかしらと思ったが、最後は良かった。主人公は美しい女装の男性とチャーリーという靴工場の経営者だったが、さすがにふたりとも抜群の歌唱力だった。

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ワシントン・スクエアのジャズバー

ニューヨークではジャズも聞いた。小さなジャズバーだったが、素晴らしい演奏だった。今回、ひとつ残念だったのは、是非見たいと思っていたゴヤの傑作『アルバ公爵夫人像』を見られなかったことだ。黒服に身をつつんだアルバ公爵夫人の指さす足元に、Solo Goyaと書かれていることで有名な絵だ。アメリカ・ヒスパニック・ソサエティは町の外れにあり、やっとたどり着いたら建物は改築中で美術館も閉まっており、お目当ての絵は世界各国をまわっているとか……本当にがっかりした。
帰国する前日の夕方、庭で餌をさがしているリスをゆっくりと眺めた。芝生のなかに見上げるほどに高い樹木が3本ほど立っていて、根元にはきのこが生えている。その木の幹をするすると下りてくる黒い毛なみの野リス、尻尾のまわりが白い大きな薄茶色のリス、それに芝生のなかを機敏に動き回るシマリスなどがかわるがわるやってくる。雌鹿がのっそりと庭を横切って行き、日暮れ時には鳥が鳴きさわぎ、やがて鳥も眠りに就いて静かな夜がくる。

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2018年11月11日 (日)

ニューヨーク*ニューオーリンズ旅行

朝、熱を測ると35度8分、どうやらやっと平熱に戻ったようだ。ニューアーク空港からニューオーリンズへ向かう。飛行機が出発する20分前にほとんど全員が着席し、出発直前にはすべての人々が窓のシャッターを下ろす。真昼だというのに機内は真っ暗だ。これはアメリカの習慣なのか…不思議である。飛行機のなかの「しきたり」も国によって違う。たとえばスペインでは目的地に着陸すると機内に必ず大きな拍手が湧き起こった。これもまた不思議である。飛行機は午後2時20分にニューオーリンズに到着。3時間のフライトだったが1時間の時差がある。
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蒸気船から見たジャクソン・スクエア方面

長いあいだ心のなかだけに流れていたミシシッピー川をはじめて見た。1812年、蒸気船ニューオーリンズ号がここに到着し、ミシシッピーの水運を切り開くきっかけになった、と案内板にある。ジャクソン・スクエアに建つ北米最古の教会といわれるセントルイス聖堂近くの船着場から、蒸気船ナッチェズ号に乗ってミシシッピー川をさかのぼる。沿岸には工場や倉庫が並び、川の水は茶色く濁っているが、その広大さは比類ない。私にとってミシシッピー川といえば、やはり少年少女のための冒険小説、マーク・トウェインの『トム・ソーヤ-の冒険』や『ハックルベリー=フィンの冒険』だ。トム・ソーヤ-もハックルベリー=フィンもルイジアナ州のミシシッピー川添いの村で生まれた子どもで、物語の舞台もほとんどがそこだ。まさに南部の奴隷解放の時代……川風に吹かれながらさまざまなことを思う。

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蒸気船ナッチェズ号

マーク・トウェインの古典的な冒険物語も素敵だが、ニューオーリンズはジョン・グリシャムの小説『ペリカン文書』の舞台でもある。ニューオーリンズの女子大学生が主人公。ルイジアナ州の湿地帯に棲息するペリカン保護に尽力した人々が次々に殺されるが、黒幕はそこに石油施設を作りたい人々だった。飛行機の上から見おろすと広大な湿地帯が見えた。あそこにペリカンが棲息しているのか……。ペリカンといえば、オーストラリアにもいっぱいいる。シドニーの魚市場に隣接する船着場に群れをなしてやってきて餌をあさっていた。大きいが人懐こくて可愛い鳥である。

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結婚式の行列

フレンチ・クオーターのレストランに入って食事を始めようとした時、突然外が騒がしくなったかと思うと、店の人たちも食事中の客たちも外へ飛び出していった。何ごとかとみれば、結婚式の行列だった。花嫁花婿を先頭に、先導する人たちとブラスバンド、その後に式の参列者が老いも若きも踊りながら白いハンカチを振って街路を練り歩いてくる。鳴り物入りの陽気な一団が近づいてくると、沿道の人たちは大きな拍手で祝福する。
ニューオーリンズでは咳に悩まされながらも、蒸気船に乗ったり昆虫博物館を見たり、Voodoo人形やタバスコなどのお土産を見ながら町を歩いたりして数日楽しんだ。ニューオーリンズ空港からニューヨークに戻ったのは夜の10時半。ニューヨークは霧。

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2018年11月 8日 (木)

ニューヨーク*自由の女神とエンパイア・ステート・ビル

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自由の女神像

グランドセントラル駅から42番のバスに乗り、ライブラリーの前を通ってEast 42th streetをハドソン川に向かって進む。トラック、工事の車、イエローキャブ、タクシーウーバ、ごみ収集車などがクラクションを鳴らして行きかうなかを、消防車やパトカーがけたたましいサイレンを響かせながら疾走する。しかも二重駐車やバスレーンに停めている車がそこらじゅうに溢れている。やっと桟橋について船に乗り込んだ。乗客は団体ばかりだが、日本人は見当たらない。陽射しが強くて甲板に座っていられず、また、風に吹かれているうちに喉が痛くなってきた。やがて「自由の女神」が見えてきた。移民にとっては希望の象徴だったかもしれないが、古くから北米大陸に暮らしていた原住民にとっては……言わずもがなである。女神のそばを過ぎ、ニューヨークで一番古いブルックリンブリッジの下を潜って、1時間半でもとの桟橋に着いた。

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エンパイア・ステート・ビル 86階から

船を降りてエンパイア・ステート・ビルに向かう。1931年に竣工した102階建てのビルで、パリのエッフェル塔と同じように観光客であふれている。まず80階で降りてニューヨークの街を見下ろす。その後86階へ。日本で高層ビルが建てられ始めたのは私が中学生の頃、建設途中の霞が関ビルをはじめて見た時、その高さに驚いて見上げたものだった。しかし、いくら地震のない国だといっても102階の高層ビルを今から90年近く前に建てたなんて、やっぱりすごい。それにしても人はなぜ、高いところに上りたがるのだろう……。自由の女神、ブルックリンブリッジ、そしてエンパイア・ステート・ビル、まったくのお上りさんコースを堪能した。

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2018年11月 7日 (水)

ニューヨーク*ワシントン・スクエア

グランドセントラル駅から地下鉄でワシントン・スクエアへ向かった。ヘンリー・ジェイムズの名作『ワシントン・スクエア』に描かれた場所だ。でも、小説の舞台になったのは19世紀半ばのワシントン・スクエア、当時はニューヨークの高級住宅街だったが、150年以上を経た今はニューヨークの下町、貧しい外国人や労働者、そしてホームレスがたむろする治安もあまりよくない地域になってしまった。ワシントン・スクエアは凱旋門のあるきれいな公園だが、狭いし人が多くて……広大な自然のなかにあるセントラル・パークとは趣が違う。

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ワシントン・スクエア

小説『ワシントン・スクエア』の主人公は、著名な医師の娘キャサリン。能力も容姿も平凡で、父を尊敬しているが父からは愛されない娘だった。そこに財産目当ての男が近づいてくる。父親はその男と結婚するのなら財産はいっさい娘にはやらないと断言する。男は去っていくが、父親の死後またやってきて求婚する。しかしキャサリンは受け入れない。単純なストーリーだが、それぞれの立場にある人々の心の機微が上手く描かれていて素晴らしい。もう10年以上前になるが、イギリスの美しい海辺の町ライにあるヘンリー・ジェイムズの家に行き、庭を散策した時のことを思い出した。

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アラン・ポーの小さな記念館

ワシントン・スクエアのあたりには、19世紀から20世紀にかけて小説家や詩人が住んでいた。ウエスト・サード・ストリートにはエドガー・アラン・ポーが1845年から1年ほど住んだ。今は小さな記念館になっていて、ポーの写真や自筆の手紙、また作品の年表などが並んでいる。建物は1835年に建てられたが、2001年の発掘調査の際に発見された、当時の建物のレンガや陶器やガラス器などもガラスケースに収まっている。ポーといえば、『大鴉』や『アナベル・リー』などの詩や『黒猫』や『アッシャー家の崩壊』などの怪奇小説で有名だ。

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エマ・ラザラスの家

ヘンリー・ジェイムズが生まれたというワシントン・プレイス21番地は現在マンションになっているが、あぁ、ここに住んでいたのね……と感慨深く建物を見上げる。そこから少し歩くと、【かつてこの家に『トム・ソーヤーの冒険』を書いたマーク・トウェインが住んでいた】と記された金属板がはまっている家にたどり着く。レンガ作りの古い建物だ。またその並びには、19世紀の詩人エマ・ラザラス(彼女の詩は「自由の女神」に刻まれている)が暮らしていた家がある。

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2018年11月 2日 (金)

ニューヨーク*ニューヨーク公共図書館

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『クマのプーさん』・プーとその仲間

グランドセントラル駅から歩いて10分ほどでニューヨーク公共図書館に着く。daughter-in-lawが案内してくれた。売店で絵葉書を眺めていたら古いクマのぬいぐるみの写真葉書があり、それを見て突然思い出した。そうだ、プーさんのぬいぐるみが、たしかニューヨーク公共図書館にあった!それがここなのだ!! もう何十年も前だが、モデルになったクマのぬいぐるみがニューヨークの公共図書館に所蔵されていることを知り、そのぬいぐるみを主人公に、童話を書いたことがあった。 ああ良かった見損なうところだった、あぶないあぶない、と心のなかで呟きながら、地下に降りていく。A.A.ミルンが息子のクリストファー・ロビンのテディ・ベアをモデルにして書いた『Winnie-the-Pooh』。日本では石井桃子の訳『クマのプーさん』で有名になった。ガラスケースに収まったプー、そしてイーヨー、カンガ、トラー(石井訳)、コブタ(石井訳)も並んでいる。古びて色あせたぬいぐるみではあったが、これが本物なのね。たしかミルンが息子のためにハロッズで買ったのではなかったかしら。でも、とにかく見ることができて良かった!

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2018年11月 1日 (木)

ニューヨーク*ニューヨーク近代美術館

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モネの『睡蓮』

ニューヨーク近代美術館、通称「MoMA」に行った。グランドセントラル駅のホームはその薄暗さと煤けた柱などから、私が子ども時代の上野駅のようだと感じたが、駅構内に出ると一変して美しく荘厳な歴史的建造物の駅舎に圧倒される。アメリカ人の女性が近づいてきて、カメラのシャッターを押しましょうか、といってくれる。明るい感じの良いアメリカの婦人だった。スマホのカメラはあまり得意ではなかったみたいだが……。

ニューヨーク近代美術館まで、かの有名なタクシー、イエローキャブに乗った。絶え間なくクラクションを鳴らしながら、車線をつねに変えて疾走するタクシー。騒音は摩天楼に反響してますます大きく聞こえる。まるでアメリカ映画に出てくるカーチェイスもどき、一度乗ればもういい。「MoMA」には、よく知られた絵画が多くある。モネの『睡蓮』や『アガパンサス』、ピカソの『アヴィニォンの娘』、ルソーの『夢』、ゴッホの『星月夜』など、またポロック、マグリート、ミロ、マティス、ケルヒナー、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が並んでいる。絵画を堪能して洗面所に行き、手を洗おうと手を出したが自動で水が出ないので、メガネを外して書いてあることを読もうとしたら、隣にいた女性が、プッシュ、プッシュと教えてくれた。アメリカ人は本当に親切である。

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2018年10月26日 (金)

ニューヨーク*メトロポリタン美術館

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『クロード・モネ』原本と翻訳本

メトロポリタン美術館、通称「THE MET」。古い絵画はルーブルやプラド、ウフィツィに比べるとかなり見劣りするが、それでもプラドで見慣れたゴヤ、ベラスケス、スルバラン、リベラなども少し並んでいる。しかし19世紀、20世紀前半の絵画は充実している。ミレー、コローなどのバルビゾン派、それにギュスターヴ・モロー、スーラ、ゴッホ。さらに印象派のドガ、ルノアール、そしてモネ。今回の私の目的はモネ。7月に発売された私の翻訳本、ロス・キング著『クロード・モネ』に登場するモネの作品のうち、(もちろん、睡蓮やルーアン大聖堂も良いのだが)『サンタドレスのテラス』と『ラ・グルヌイエール』が見たかったのだ。この2枚は並んで壁にかかっていた。それほど大きな作品ではないが、まだ有名になる前のモネの若い頃の作品で、ある種の清らかさがある。ミュージアムショップにはロス・キングの『クロード・モネ(Mad Enchantment)』が置かれていた。出版社で用意してくれた布張りの本と装丁が違っていたので、1冊、記念に買い求める。

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THE MET・『Mad Enchantment』

因みに、9月に横浜美術館で開催されていた「モネ展」に行った時に、ミュージアムショップに私の翻訳本『クロード・モネ』が置いてあったのでちょっと嬉しかったことを思い出した。

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横浜美術館・訳本『クロード・モネ』

その日の夜、ステーキハウスにいわゆるニューヨークカットを食べに行った。パイプの収集で知られる古いレストランで、天井を見上げると古いパイプがいっぱい並んでいる。店の入り口にあるショーケースにはルーズベルトのパイプなどもあり、アインシュタインやベイ・ブルースなどもメンバーだったらしい。クラブのメンバーは9万人だったとか。

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2018年10月25日 (木)

ニューヨーク*ワシントン・アーヴィングとシャガール

ニューヨークに住んでいたR子さんから、ニューヨーク郊外のアーヴィントンにワシントン・アーヴィングの終の棲家がある、と聞いて是非訪ねたいと思っていた。さらに調べてみると、スリーピー・ホロー村の墓地にアーヴィング家代々の墓所があり、またその近くにシャガールのステンドグラスが嵌った教会があることがわかった。

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ワシントン・アーヴィングの墓

まずはスリーピー・ホロー村へ。スリーピー・ホロー村は、もとはといえばオランダ移民の村。『リップ・ヴァン・ウィンクル』も、『スリーピー・ホローの伝説』もオランダの民話をもとにしている。墓地の表門で貰った地図を見たら、アーヴィングの墓はかなり奥だということが分かり、一度外へ出て裏門から入り、車を降りる。雨模様の空の下、小高い丘の斜面に墓地が広がっていた。坂の中腹にアーヴィング家の墓地が見えた。たくさんの墓石の中に少し大きなものがあり、そこに星条旗が掲げられている。墓碑にワシントン・アーヴィングとある。この国では、ワシントン・アーヴィングは最も知名度の高い作家のひとりなのだ。スペインにいた頃、ワシントン・アーヴィングの「アランブラ物語(アルハンブラ物語)」を繰り返し読んだが、アメリカやイギリスに関する作品にはあまり興味がなかった。

 
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サニーサイド・アーヴィングの家

しかし今や、イギリスもアメリカも大いに興味の対象である。アーヴィングの終の棲家は、アーヴィントンのサニーサイド、墓地から近い距離にあった。11時のツアーに入って説明を受けながら見学した。ガイドはかなり老齢な女性で、当時の衣装を身に着けている。海外では珍しいことに家の内部は撮影禁止。玄関を入ると、右手に書斎、左手にハドソン川が見渡せる広い食堂。食堂の並びにメイド室。その奥には談話室があり、グランドピアノの譜面台には『サニーサイドバレー』という題名の楽譜が置かれていた(どんな曲なんでしょうね)。2階に上がると、寝室が3部屋。そのうちのひとつがアーヴィングの寝室だ。階下にあるキッチンには大きな暖炉があり、それで煮炊きをし、家全体の暖房もしていたという。オランダ風の母屋のとなりにスペイン風の家があるのだが、庭を含め、すべてアーヴィングの設計だという。政治家でもあり、外交官でもあり、作家でもあったアーヴィングは、さまざまな才能に恵まれた人だったのだろう。

 

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ユニオン・チャーチ・シャガールのステンドグラス

その後、激しい雨に降られながら最後の目的地、ユニオン・チャーチに向かう。シャガールのステンドグラスは想像以上にとても素敵だった。何といっても色が美しい。祭壇から見て後方(正面)に大きな1枚。横壁に4枚ずつ、合計9枚のステンドグラスがある。祭壇上方の丸窓のステンドグラスだけはマティスのデザインで、死の2日前に仕上げたという。因みに入場料がひとり7ドル、撮影禁止というのだが……まぁ丁寧に説明はしてくれたが。このあたりはロックフェラー一族のゆかりの地で、この教会はロックフェラーの援助で建てられたとか。ユニオン・チャーチは行きがけの駄賃だったが、見ることができて良かった。

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2018年10月19日 (金)

ニューヨーク*スリーピー・ホロー

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ザ・グレイト・ジャック・オ・ランタン・ブレイズ

『スリーピー・ホローの伝説』は『リップ・ヴァン・ウィンクル』と同様、ワシントン・アーヴィングの『スケッチブック』のなかにある伝承民話だ。『スリーピー・ホローの伝説』は、首のない騎士に追いかけられて村はずれの橋のところで命を落とす(行方不明になってしまう)イカボッド・クレインの話。このふたつがニューヨーク郊外を舞台にした言い伝えとして、今も人気があるらしい。特にスリーピー・ホローの伝説は映画で有名になり、モデルとなった村は、村おこしのためかタリー・タウンという名(アーヴィングのよる)をスリーピー・ホローと変えてしまったとか。

スリーピー・ホロー・カントリー、ハドソンバレーにあるヴァン・コートラント・マナーの「ザ・グレイト・ジャック・オ・ランタン・ブレイズ」に行った。毎年、ハロウィンに因んで開催されるが、アメリカの子どもたちにとって、ハロウィンは特別印象深いお祭りだ。まさしく、レイ・ブラッドベリの小説『何かが道をやってくる』の世界なのだ。私は学生時代にこの小説を読んだが、これこそが、「心惹かれるアメリカのハロウィン祭りの印象」だった。巨大なオレンジ色のかぼちゃの中身をくりぬき、お化けの顔やケルトのレース模様を彫り込み、ひとつひとつ灯りをともして、スリーピー・ホローの伝説に出てくる首なし騎士をはじめ、動物や昆虫、巨大な蜘蛛の巣、それに汽車や自由の女神などを形作ったりなど、さまざま工夫を凝らして展示している。ジャック・オ・ランタンとは鬼火のようなもの、そういえば私が10年前に訳した『わし姫物語』のなかにも出てきた。

……会場へ向かう暗い道路を車はひた走る。うっすらと立ち込めていた霧がだんだん濃くなり、すれ違う車のライトがいきなり現れて、真っ赤な鬼火のように後ろへ遠ざかる……これから何が起こるのだろう……と思う間もなく会場に着いたが、なかなかの人出。展示物が見えないほどの混雑ではないが、子連れ孫連れでいっぱいだ。会場には他に照明はなく、すべて赤く点るジャック・オ・ランタンの灯ばかり。その暗さが独特の雰囲気を醸し出している。

私はその日、熱を出していた。いつもは決して飲まない風邪薬を飲んで出かけたので、どこか心身ともにふわふわとして……まぁ鬼火を見るにはちょうど良い気分だったかもしれない。息子の家に帰って熱を測ると37、9度。再び風邪薬を2錠飲んでうがいをして寝た。

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2018年10月18日 (木)

ニューヨーク*リップ・ヴァン・ウィンクル

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キャッツキル村

ニューヨークに行ってきた。6年ぶりの国際線にも疲れたが、時差が辛い。何とか現地時間に合わせて行動しようとするが、日本で寝ている時間はどうも頭も身体もぼぉーっとしている。今は、帰国して6日も経つのにまだ日本時間に慣れず、毎晩、夜中の3時に目が覚めてしまう。そして目覚めたばかりのリップ・ヴァン・ウィンクルのように、何もかもが変わってしまったなどという妄想にとらわれる。

『リップ・ヴァン・ウィンクル』は、アメリカ人作家、ワシントン・アーヴィング(1783年~1859年)の『スケッチブック』にある短編小説。ニューヨーク郊外のキャッツキル山中にあったオランダ村に伝わる民話をもとに書かれた。それはアメリカ独立戦争の頃のこと。ある日、深い森に迷い込んだリップ・ヴァン・ウィンクルは森のなかで不思議な人々と出会う。そして彼らと一緒に酒盛りをしてぐっすりと眠り込んでしまう。やがて村に帰りつけば、20年の歳月が過ぎ何もかもが変わっていた、というもの。森鴎外も、日本の浦島太郎伝説に似ていることに興味を持ち、ドイツ語から重訳(原文は英語)している。

キャッツキル山に行ってみたい!と息子に頼んで日曜日に車で連れて行ってもらった。町を出ると道はすぐに森のなかへ。北へ向かうせいか、紅葉した樹々が少しずつ増え、黒い石礫のような鳥の群れが森の上を旋回する。1時間半ほど走っただろうか、「ようこそリップ・ヴァン・ウィンクル・カントリーへ」と書かれた看板が見えた。そこから20分ほどでキャッツキル村に着く。静かな美しい田舎町だが、夏は観光地としてにぎわうのだろう。ランチをとるために入ったレストランでは、ジャズの生演奏が始まったばかりだった。昼食の後、村の通りを歩いていたら、ある店先のショー・ウインドーに置かれたトマス・コールの写真が目に留まった。トマス・コールは19世紀の風景画家。イギリスで生まれ、10代後半で家族とともにアメリカに移住。のちにキャッツキルに住み、その風景を描き、キャッツヒルで没した。享年47歳。そのあと一軒の骨董屋に入り、水色のガラスでできた古いブローチを、18ドルと値札にあったが15ドルに値切って買った。

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