歌舞伎・演劇・ミュージカル

2017年9月24日 (日)

『キャッツ』

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写真は四季の『キャッツ』

 

孫たちがニューヨークで『キャッツ』を見たらしい。ニューヨークではまだやっているのかしら。もしかしたらリバイバルなのかもしれない。『キャッツ』はロンドンで1980年代の始めから20年以上続いて終わったのだが、舞台がいかにもロンドンの下町らしい感じで(ただし、キリスト教的なところはなかなか理解に苦しむが)楽しく、私はロンドンで5回ほど見た。2002年だったか、最後の公演も見た。でも数年前、息子はロンドンで『キャッツ』を見たというし、日本でもまだやっているようなので『キャッツ』はなかなか終わらないらしい。2010年、私は日本語でも見たいと思って、親友と一緒に四季の『キャッツ』を横浜まで見に行った。彼女は、猫は大嫌い!といいながら付き合ってくれた。ロンドンでは海賊猫グロールタイガーの歌に確か、テームズ川が出てきたと思うのだが、日本では隅田川を思わせる言葉があったように思う。それならば、ニューヨークではハドソン川が出てくるのだろうか……などとつまらないことを考えてしまう秋の夜長だ。そういえば…2010年の3月に『キャッツ』のことをブログに書いたことを思い出した。

http://natty8.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-1.html

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2015年4月24日 (金)

鳩の豆を売るおばあさん

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『風にのってきたメアリー・ポピンズ』より

 

先日読んだ本に、浅草寺の本堂の前で鳩の豆を売っているおばあさんたちの写真(大正時代)が載っていた。綿入れのような地味な着物を着て頬被りしたおばあさんたちが参道に数人並び、黒い手袋をはめた手を、豆を入れた小ぶりの器が並んだ台の上に置いている。

これを見れば、どうしたって『メアリー・ポピンズ』を思い出さないわけにはいかない。ロンドンのセント・ポール大聖堂の石段の下で鳩の豆を売るおばあさん……。ミュージカルで歌われるのは、トゥーペンス(2ペンス)をタペンスと下町の発音で(ほとんどタプンと聞こえる)歌うあの心にしみる歌。大聖堂に続く石段に腰掛けて、鳩に餌をやるおばあさん……白い大きなドームの上に鳩の群れが舞い上がる……おばあさんは鳥の言葉を話し、夜には大きく広がったスカートのなかに鳩を入れて眠らせる。そうして、世のなかにはお金よりももっと大切なものがある、と諭すのだ。

小説の作者、パメラ・L・トラヴァースは1899年、オーストラリアのクイーンズランドで生まれた。小説『メアリー・ポピンズ』は、1934年から1952年までのあいだにいくつものシリーズが書かれたが、舞台はヴィクトリア時代のイギリス、浅草寺の写真は大正時代なのでヴィクトリア時代とは少しずれているが、ロンドンの下町にある「セント・ポール大聖堂」と同じように、東京の下町にある「浅草寺」にも鳩の豆売りのおばあさんがいて、同じように参拝者に声をかけていたのだろう。豆はロンドンでは2ペンスだったようだが、浅草ではいくらだったのだろう。

寺院と鳩、豆売りのおばあさん、この3つがそろうと心癒される物語が始まりそう。

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2011年11月 9日 (水)

平成中村座

 久しぶりに(一年ぶりくらいだろうか)歌舞伎を見た。「平成中村座」は勘三郎を座長に、江戸時代の小屋掛けの歌舞伎を再現したもので、2000年から始まり、日本中、世界中を興行して浅草に戻ってきた。
 出し物は、まず『双蝶々曲輪日記』。ふたりの力士、濡髪長五郎(橋之助)と放駒長吉(勘太郎)の遊女をめぐる裏取り引きの話で、面しろ可笑しい場面も多い。『お祭り』(勘三郎)は、踊りの途中で背後の壁が開いて外の景色が現れる仕掛け。隅田川の横を走る高速道路やその上にそびえるスカイツリーが見える。勘三郎は病気あがりとのことで何となく元気がない。私が小学生の時、勘三郎(当時は勘九郎)が3歳くらいで、名子役といわれていたのだから、(何だったか分からないが、「ととさまー」という科白が可愛かった)私よりもかなり若いはずだ。歌舞伎役者で大病をする人が多いのは、やはり体力消耗とストレスなのだろう。ましてや人気役者はなおさらだ。最後は『義経千本桜』。平知盛(仁左衛門)が船の錨を縛り付けて海に身を投げるところは圧巻。中村座は歌舞伎座の4分の1ほどの広さで役者の表情も良く見える。瀕死の知盛が自分の身体から引き抜いた血だらけの矢を舐めたりする場面もあった。たまたまその日だけだったのかもしれないが、仁左衛門が科白をいう良いところになると、空の上にバタバタバタバタとヘリコプターが飛んできて、ちょっと騒々しかった。

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2010年6月23日 (水)

歌舞伎座

 数日前、築地へと歩いていく途中で見た歌舞伎座。青いビニールシートをかぶせられて、これから取り壊されるのだろう。学校や病院や劇場、多くの人々が集まる建物は古くなれば危険だ。ヨーロッパでは300年、400年前に建てられた建物に今も人が住んでいるが(というと、多くの日本人は、それは石の建物だから当たり前、などというが、古い建築物は殆どが木造なのです)、日本は地震国だから仕方がない。でも、それを口実に壊さなくてもいいものまで壊して、お金儲けをする人たちだっているのだ。

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2010年3月 4日 (木)

劇団四季『Cats』

横浜で劇団四季の『キャッツ』を観た。アメリカからイギリスに帰化した詩人T.S.エリオットのエッセイ集『Old Possums Book of Practical Cats』(1939年)から題材をとったミュージカルだ。原題に見えるオールドポッサムはエリオットの親しい友人がつけた渾名だという。1981年から2002年まで21年間にわたってロンドンのコベントガーデンで上演されていた。日本では1983年の11月に新宿で初演された。
夜のロンドン下町。今宵は天に召され永遠の命を授けられる猫が選ばれるお祭りの夜。まわりの人間に懐疑的な様子を見せる猫。けれどもやがて自分たちの紹介をはじめる。猫は三つの違う名前を持っている。普段呼ばれる名前、威厳のある立派な名前、そして人間にはわからない秘密の名前…こうしてはじまる『キャッツ』は、数々の個性的な猫が登場した後、最もみじめで悲しい運命を背負った場末の娼婦猫グリザベラが選ばれて天国にいくというキリスト教的傾向の強い作品だ。
本当に楽しいミュージカルで、何回も観たいと思ったのは『キャッツ』だけ。5回ほど観たが日本語で観たのは今回がはじめて。舞台も科白も少しだけ違うようだし、ロンドンの方が全体的に猫の表情が「色っぽかった」ように思える。グリザベラが歌う『メモリー』はいつ聞いても素敵な曲だ。

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2009年11月 1日 (日)

グローブ座のサロメ

グローブ座のサロメ


先日、友人のYさんに誘われて新大久保のグローブ座に『サロメ』を見にいった。ロンドンのグローブ座はシェークスピア時代そのままを再現し、天井はなく固い木の椅子だったが、東京のそれは天井も覇ってあり座席もふかふかだった。『サロメ』は19世紀末、オスカー・ワイルドによって書かれた戯曲で、聖書のヨハネ伝から題材をとっている。サロメに扮するのは篠井英介、ヨハネに森山開次、ヘロデ王に上条恒彦、王妃に江波杏子と舞台の上に登場するのは4人だけだ。とても和風に仕上げてあって、能や歌舞伎を意識したちょっと鏡花風、赤い椿が雨のように降ってくるところなど…。

その日、Yさんが1冊の本を貸してくれた。久世光彦著『泰西からの手紙』だ。ヨーロッパの名画に纏わるエッセイ集だが、その中の一章に『首』と題してアローリの作品『ユディト』を取り上げている。『ユディト』も聖書のなかにある話。ベツリアの町を救うためにアッシリアの将軍ホロフェルネスを騙し夜中に首を切り落としたユディトはサロメと並んで多くの画家が描いている題材だ。ユディトもサロメも男の生首をつかんでいる。エッセイには「その人を好きか嫌いかはほとんどが首から上に対して持つ感情のようである」 また、「首を切るという単純な方法の裏に、暗い輸楽への期待が潜んでいる、それは異常なものが見たいという熱く湿った欲望である」などとある。確かに首というものは他の身体の部分とは違った特別な部位だ。首から上こそが、きっと人間としてのアイデンティティーを主張できる部位なのだろう。

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2008年12月 1日 (月)

乱歩『人間豹』の歌舞伎

国立劇場で歌舞伎を観た。江戸川乱歩原作の『人間豹』、『江戸宵闇妖鉤爪』と題して幸四郎と染五郎父子が明智と怪人(半獣半人)を演じる。原作は昭和のはじめが舞台だが、江戸末期に置き換えられている。幕臣神谷の美しい恋人が次々と無残に殺されていく。乱歩特有の二重人格者が犯人らしいのだがそこははっきりさせずに終わる。最後は大凧に乗った怪人が傘を広げて劇場の天に向かって上っていき、紙ふぶきの中に消えていくという演出。なぜかロンドンのシアターで観た『メアリー・ポピンズ』のラストシーンを思い出してしまった。春猿の女形3役も染五郎の2役と並んで素晴らしかった。公演は千秋楽で幸四郎の口上で幕が引かれた。

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