伊豆 風便り

2015年6月24日 (水)

伊豆・大仁の『女塚』

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『女塚』

 

伝説に因んだ史跡『女塚』は、伊豆の大仁の先、田中山の山中深くにある。

14歳で伊豆の蛭が小島に流された頼朝は、土地の豪族、伊藤祐親の娘八重姫とのあいだに千鶴丸を儲ける。大番役を終えて京から伊藤に帰館した祐親は、ふたりの間に3歳になる千鶴丸がいることを知ると、平家を恐れて千鶴丸を小枝で包んで縛り上げ、伊東の轟が淵で水に沈めて殺害した。(これに関してはご多分にもれず、千鶴丸は密かに生きながらえた、という伝説がいくつかあるらしいが)祐親は八重姫を幽閉し、頼朝は他者から命の危険を知らされて北条時政のもとに逃れるが、そこで政子と出会う。八重姫は伊東の館を侍女6人と共に抜け出して頼朝に会うために北条氏の館へと向かったが、頼朝はすでに政子と結ばれていた。帰るところを失った(悲観した)八重姫は真珠が淵に身を投げて自らの命を絶つ。以上がいくつかの物語や文献に記された言い伝えの概要だ。

『女塚』は八重姫の侍女たちの供養塔である。

昭和49年建立の女塚保存会の説明板には「6人の侍女は姫の供養を済ませたのち伊東へ戻るべく……ひとりは伊東の館へ知らせに走った。残った5人は松の根方で自害して姫の後を追ったという」とある。(ひとりが知らせに走った、などというのはまるで忠臣蔵のようだが)

昭和51年建立の女塚保存会の説明板には「侍女たちは姫の遺髪を胸に月光のもと、大仁田中山の松の根方で自害したという。里人は碑を建て供養し『女塚』と呼んだ」とある。

他に今年(平成27年)4月に建てられたばかりの記念碑もある。

天を突くような松の古木、夏草に覆われた小さな神社の社、梅雨の晴れ間に降り注ぐまばゆい日差しのなかを色とりどりの蝶が舞う、そしてなぜか人っ子ひとりいない、という私好みの場所だったが、伝説は、史実とは違って後世の人たちが創作した物語、本当のことは誰にもわからない、八重姫も侍女たちも、もしかしたら祐親の命令で殺されたのかもしれないし、そうじゃなかったら、八重姫を殺させたのは頼朝だったりして……ヘンリー8世じゃないのだからそこまではしないかしら、などなど取り留めもなく考えながら石碑の前に佇んでいた。

敷地内に、『天の夕顔』を書いた中川与一と与一の妻幹子の歌を刻んだ石碑がある。

「隆信のゑがく頼朝像みたるときただならぬ英雄越列機の如く来し」          中川与一

これは、藤原孝信の頼朝の絵を見たとき、ただならぬものを感じて電流(エレキ)に打たれたようだった、というもの。

「死を選びし八重姫いとし大き人を心にいだき生くべかりしを」

中川幹子

これは、死を選んだ八重姫だが、偉大な人(頼朝)のことを心に秘めて生きていてほしかった、という歌。心優しい歌である。

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2015年6月 6日 (土)

大仁ホテル

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大仁ホテル

 

伊豆の大仁(おおひと)は井上靖の『しろばんば』にも登場する大きな町だ。大仁ホテルは小説家、歌人、画家ゆかりのホテルで、武者小路実篤、中川一政、長与善朗などが逗留したという。

「大仁の東に立てる放れ山大きホテルの雨にひそけき」  これは窪田空穂の歌だ。

歌にあるように山の上の大きなホテルで、庭に足湯があったりするのだが、傾斜地に和風の離れが5、6棟建っている。そのなかの1棟に長嶋茂雄が長期滞在し、訓練ちゅうにバットで傷つけた箇所が残っているという。

私たちが小学生の頃は今のようにゲームなどなく、子どもたちは学校が終わると、空き地や横丁で野球やキャッチボールをやって遊んだものだ。だから巨人軍の長嶋と王は子どもたちの憧れのスターだった。

長嶋が結婚してまもなく、東京じゅうの電話番号が載っている分厚い電話帳をひいて、長嶋の家に電話をした友人がいた。結婚おめでとうございます、と、ひとこと言いたかったということだったが、奥さんの亜希子さんが電話口に出てきて、とても暖かな対応をしてくれたという。今だったら、見ず知らずのファンからの電話にいちいち出たりしないだろう。本当に、遠い昔のことだ。

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2015年5月 6日 (水)

湯ヶ島・2・蜘蛛と蜘蛛の巣

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向かって右手・未完成の巣と蜘蛛

 

「落合楼村上」の建物は、意匠を凝らした美しいものだが、昆虫、しかも蜘蛛が大好きな私にとって衝撃的だったのは、蜘蛛と蜘蛛の巣の細工のある明り取りの欄間だった。

廊下に面した2間(にけん)分だが、部屋の中から見て、向かって左手1間は完成された巣と蜘蛛、右手の1間は完成されていない巣と蜘蛛、ものすごく繊細というわけではないが、とても面白いデザインだ。

アール・ヌーボーの影響か、それとも江戸時代の根付職人などがよく用いていた伝統的なデザインのひとつなのか。まぁ、アール・ヌーボーだって和風デザインの影響を強く受けているのだから、やはり日本の伝統的なデザインといえるのかもしれない。

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2015年5月 3日 (日)

湯ヶ島・1・北原白秋

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白秋の『雀百まで』

 

半年ぶりに伊豆にいく。今回は湯ヶ島の「落合楼村上」へ。「落合楼村上」は13年ほど前に、廃業していた旧落合楼を引き継ぎ、手を加えて再び営業をはじめたという旅館。落合楼は井上靖の『しろばんば』に登場する文学の宿、梶井基次郎はじめ多くの文人が泊まったことでも知られている。玄関サロンの入り口に白秋がこの宿で描いたという「雀百まで」の可愛らしい額がかかっていた。建物は昭和8年ごろのものとのこと。手入れがゆき届き、よく保存されている。このような建物は、伊豆の古い温泉地には少なからず残っているだろうが、今は廃屋ばかりだ。私は廃墟の美しさに心打たれるものではあるが、やはり惜しい気がする。日本家屋のなかでも旅館の建物はまたひと味違う。もてなすための建物、くつろぐための部屋として作られているので、とても贅沢な造りで美しい。館内には洋風のライブラリーもある。

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2014年8月23日 (土)

またまた熱海

 8月半ばに孫が肺炎で緊急入院し、10日間ばかり病院通いをしたり、下の子を預かったりしていたがやっと落ち着き、中学時代の友人たちと熱海に出かけた。
 熱海はここ数年、観光客が増えたと感じる。10年ほど前までは本当に閑散としていて、廃業した旅館やシャッターを閉めた店が多かったのだが、今年の夏は、駅前から海岸へと下る土産物店街は混雑して歩けないほど。
 顔ぶれは私を含めて4人。いつもながら幼なじみの4人なので、まるで遠慮はない。こんな1日か2日の近郊の小旅行は気楽でいい。
 私たちは、女性だけで旅行に出ると、みなでひとつのお財布に決まった額(たとえばひとり1万円とか2万円)をいれて、すべてを賄う。行動を共にしているので結局のところ同じような出費になるし、いちいち個人で支払いをすると時間もかかるからだ。足りなくなればまたいくらかを出し合うのだが、絶対におごったりおごられたりしない。もしかしたらおごられたりするのは好きなのかもしれないが、おごる人がいないので分からない。
 旅の最後に駅前の喫茶店に座って残金を分け合う。まるで、縁日が終わった後のテキヤのお兄さんたちみたいに、まずはおさつ(だいたい千円札)を分け、小銭も平等に分けてシャンシャンとなる。
 

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2014年8月 7日 (木)

熱海の花火大会

 写真は昼の熱海

 何十年も前から熱海の花火を見たいと思っていたのだが、駐車場や人混みのことを考えると今ひとつその気になれなかった。けれどもこの夏、湯河原の某旅館に泊まると熱海の花火大会に送迎バスを出してくれるということを知ってすぐに予約、長男一家も行きたいといったので追加予約する。
 5時ごろ宿に着いたが仰天、何というかあまりにも若者向き、しかも、源泉だというお風呂には熱くて入れない。まるで地獄の釜のようだ。掃除は行き届いていたが、お手洗いは和式。まぁ、考えてみればひとり6500円ばかり(素泊まり)でバスの送迎付きで花火見物の場所が確保できるのだから仕方がない。
 7時ごろ大きなバスがきて、湯河原の旅館をまわり客を乗せて花火会場へ。長男一家は私たちより遅れて着いたので、私は子供たちがお腹をすかしているのではないかと思い、おにぎりやパン、しゅうまいにかまぼこ、おつけものやらチーズ、それに軽いおつまみ、水やジュースやビールなどの飲み物を用意し、クーラーボックスに入れてでかける。
 旅館で小さな椅子を貸してくれたが、下の孫にはなかったのでシートを敷いて座らせる。開始は8時20分、始まるまでに40分ほど時間があったので、早速、飲み物や食べ物を出して子供たちにも食べさせ始めたが、ふと周りを見るとだれも飲み食いしていない。こんなふうに宴会(とまではいかなくても)になっているのは私たち家族だけだ。振り返ってじろじろ見る人まで……。みな、海に向かって整然と並んですわり、カメラを構えて星が当たり前に輝いている暗い夜空を眺めている。ときどき隣りに座っている人とぼそぼそしゃべったりしているが、とにかくじっとしているし静かである。
 シドニーやロンドンでは、酒とつまみ、さらに笑い声や歌声なしの花火見物などありえなかったのだが……。今や日本では花火大会までもがクラシック・コンサートなどと同じように芸術鑑賞なのか。日本人はやたらとまじめな面があるなぁ、まったく……と思っているうちに、アナウンスがあって花火が始まった。
 そこでまた仰天。それこそ食べたり飲んだりしている場合ではない。呆気にとられて孫を膝に置いたまま固まった。美しい!頭の上に落ちてくる大花火を久しぶりに仰いだせいもあったが、本当に素晴らしかった。色も形も音も工夫されていてバランスがよく、風が強かったので煙が飛んでなおさら綺麗に見えた。
 花火は30分で終わり、ふたたびバスに乗って渋滞はなはだしい熱海の街を抜けて湯河原の宿に帰りついた。

 *先日、yuwa様よりニューヨークからおはがきで「さがりばな」のコメントを頂きました。有難うございました。

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2014年5月20日 (火)

一碧湖

写真は江戸時代の取水口

 一碧湖は伊豆半島の伊東市にある湖。水量の多い湖水部分(大池)と湿地帯の沼地部分(沼池)に分かれている。与謝野鉄幹と晶子夫妻の歌碑がたっているが、私が見たかったのは、沼池にある吉田隧道の取水口跡。
 江戸時代に吉田地区の農村に給水するために掘られたトンネルの取水口だ。石に7か所の穴があいていて水量を調節できるようになっている。
 あたりは、低層の別荘風マンションが木立の間に見え隠れしているが、静まり返っていて人の気配がない。
 沼を一周して、今はあまり見なくなった紫色の野草チョウジソウを楽しんだ。

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2014年5月 1日 (木)

湯河原・2・浜田庄司

 写真は浜田庄司作の茶碗

 前回は東郷平八郎の椅子……だったが、東郷平八郎といえば、すぐに頭に浮かんでくるのは、日露戦争時、明治38年(1905年)に、ロシアのバルチック艦隊を迎撃した(日本海海戦)ことだ。「……天気晴朗なれども波高し」という電文はあまりにも有名。
 漱石の『吾輩は猫である』のなかに、猫がネズミを取る場面がある。家人がことごとく寝静まった深夜の台所で、じっと獲物を待つ猫。やがてネズミがやってきて、台所での騒々しい大取り物となるのだが、その場面を東郷平八郎と日本海海戦にみたてている。何回読んでも面白い。

 宿を出てから、湯河原市内にある『人間国宝美術館』に行った。人間国宝といわれる人たちの作品が並んでいるのだが、その人たちの造った茶碗で抹茶をサービスしてくれるのだ。私は浜田庄司の茶碗を所望。確かに良い感じの茶碗だった。お茶の味は同じである。浜田庄司といえばバーナード・リーチ……そういえば、大槻憲二とバーナード・リーチが銀座の鳩居堂で対談したときの記事もあった。

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2014年4月30日 (水)

湯河原・1・東郷平八郎

 写真は東郷平八郎お気に入りの椅子

 先日、友人の紹介で素敵な宿に泊まった。湯河原にある旧井上薫の別邸、120年前の和風建築だ。外観は純和風、内装はモダンな和洋折衷、床は絨毯が敷いてあり洋風家具が並んでいるが、壁や天井、窓などは純和風の意匠をこらしたもの。温泉もお料理も良かった。
 縁廊下に古い椅子が置いてある。この別邸によく訪れた東郷平八郎のお気に入りの椅子だったという。座ってみたら思ったより小さく、東郷さんは小柄だったのかしら、と思った。

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2013年10月17日 (木)

ボンネット

 これは熱海銀座にある古風で素敵な喫茶店ボンネットの名物ハンバーガー。
 とっても美味しい!
 この店は61年前にから営業していて、谷崎潤一郎や三島由紀夫が通ったことでも知られている。
 雨の日だったが、常連客が座っていて……、静かなひと時だった。

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